やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

ブリストル湾事件ー it’s not just about fish!

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オーストラリアのケアンズで開催されていたWCPFCの会議が終了した。

評価は低いようであるが、漁業資源の最大消費国日本が、PNAの枠組みでフィリピンと共に漁業資源捕獲削減の方向を示した事は、太平洋の過去20年の歴史上始めての事であるらしい。

ここら辺は明日からPEW, FFA. PNAの皆さんとお会いするので情報収集してからまたご報告したい。

このWCPFCの会議。"it’s not just about fish !"と締めくくった、オーストラリアのベルギン博士のブログが送られてきた。

”Pacific fisheries diplomacy”

http://www.aspistrategist.org.au/pacific-fisheries-diplomacy/

違法操業、漁業資源問題、確かに事は魚だけで済まないのである。

10月琉球大学で開催された「島と海」のシンポジウムに参加した時、2時間近く寺島常務とお話する機会を得た。相手は海洋問題の世界的大家。こちらは海洋問題5年目の幼稚園生(幼稚園生に失礼かもしれないが)。冷や汗をかきながら「200カイリ議論をきっかけはトルーマンですよね。その米国がUNCLOS批准しないとは。。」と知っている限りの事を話す努力も。。

寺島常務から意外な情報が。

トルーマン宣言*を引き出したのは戦前の日本の遠洋漁業なんです。トルーマン宣言は終戦1ヶ月後の1945年9月28日に発表された。200海里議論を生み出した原因は日本漁業にある、とも言える」

この話、それほど広く知られていないらしい。

それでグッグてみたら下記のペーパーを見つけた。

「日米漁業摩擦の起源とその背景:いわゆる「ブリストル湾事件」に関する素描と一考察

http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/24155/1/47(1)_P13-29.pdf

ブリストル湾事件」ー 当時日本ではほとんど話題にされていなかったそうだが、米国では日本の侵略!と大事件だったそうである。当時の日本国内の資料が敗戦で紛失されているため、上記のペーパーは米国大使館の公電等を調べて当時の状況を描き出している。

日本側も当時の政情、米国の懸念を配慮し調査船2隻を出すに留めた。しかし米国反応は過剰で、報道も歪曲されていた。2隻の調査船に対し、101隻との報道がされている。

なぜ日本は米国の懸念を無視し2隻の調査船を出したのかを日本国内の漁業独占競争問題を取り上げ分析している。また当時の米国の経済状況と対日批判に繋がる日本経済の脅威も書かれている。

当時の日本の水産業が、現在の中国のそれに重なって見えてしまうのは、当方がまだ幼稚園生並の海洋知識しかないためだと思うが、何はともあれ it’s not just about fish! である事は確かなようだ。

トルーマン宣言

引用「日米漁業摩擦の起源とその背景:いわゆる「ブリストル湾事件」に関する素描と一考察

米国のトルーマン大統領は大陸棚および漁業水域に関するこ つの宣言を出した。このうち大陸棚に関する宣言は「自国沿岸に続く大陸棚の開発利用は原則として水深 200メートルの地点まで沿岸国の管轄権に属せしめるべきである」という内容であり,保存水域に関する宣言は「自国沿岸の漁業資源の維持保存をはかるため沿岸国は領海の外側に一定 の水域を限り,この水域での外国漁船による乱獲を規制するための管轄権を沿岸国に認めるべき である」という内容である。

ブリストル湾事件に関しては英語の文献も確認する必要があるであろう。例えばこんなのを見つけた。

"On the brink of war – the 1937 Bristol Bay salmon crisis"

by Shady Grove Oliver, KSTK News

March 21, 2013 3:46 pm

http://www.kstk.org/2013/03/21/on-the-brink-of-war-the-1937-bristol-bay-salmon-crisis/