小室直樹さんの著書で知った『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』。
実は10年ほど前に入手したのだが、どうせ読んでもわからないと思って開いた事はなかった。
しかし、ビリオネラーと知り合いになったり、経済開発論を扱うようになって、やっぱり読まなきゃと思って読み出したら面白くて3日程で終了した。
猿でもわかる、音大生でもわかる(というと他の音大生に失礼かもしれませんが)「プロ倫」です。
読めたからと言って理解できた、という訳ではないが、Wikipediaに書かれている内容より本書の方がわかりやすい。
キリスト教、金儲けや利子収益は悪い事である。なぜ悪いかというと享楽的生活、無駄な時間を過ごす事になるから。神に選ばれた民、即ち予定説を信ずる者は禁欲的生活をしなければならない。禁欲的生活とは天職を全うする者である。禁欲的に天職を行うとお金が貯まる。金儲けが究極の目的ではないので、儲けた金は世の中のために使う。自分の享楽のために使っていけない。
ただし、基本となる予定説がどこかで抜け落ちる。その後キリスト教の宗教的信仰も倫理性も抜け落ちて、ひたすら金儲けが、即ち資本主義が王道を走る。
これがベンジャミン・フランクリンの「時間が貨幣という事を忘れてはいけない。」で始まる言葉となって表象されている。
本書最後の下記の言葉はウェーバーのものであろう。
「精神のない専門人、心情のない享楽人。この無の者は、人間性のかつて達した事のない段階にまで登りつめた、と自惚れるだろう」
しかし、この本を理解するのに重要なのは訳者解説にあるように、ウェーバーが儒教、道教、ヒンズー教、仏教等々宗教社会学研究をし、この広大な比較宗教社会学のなかにおいて理解しなければならない、ということである。
ウェーバーは決してプロテスタンティズムが現代の資本主義を生んだ、と言っていないのである。
ところで、日本の勤勉主義。速水融さんの「勤勉革命」や、小室直樹さんの『信長 ー近代日本の曙と資本主義の精神ー』を勉強すればわかるかもしれない。
ただ、ふと思い出したのは飛行機の中で偶然観た『あかね空』(山本一力)というお豆腐屋さんの映画である。
勤勉な2人のお豆腐屋さん。一人の息子は日本橋で人攫いにあって後にヤクザの親分に。もう一人の息子は博打で借金を。
この2人の息子には「心情のある享楽人」の姿が見える。つなりそうなってしまった背景が理解できる。
勤勉な豆腐屋の父親は2人とも悲しい死を迎えるのだが、豆腐作りに命をかける姿は「精神に満ちた専門人」だ。
そしてなぜか映画を見終わった時、登場人物全員が救われたような気がした。