やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

東郷平八郎とハワイ

昨年は平間洋一先生の本との出会いが、自分の太平洋歴史観を大きく変えた。

日露戦争と世界の歴史を変えたその影響力。特に東郷平八郎 ー 名前は知っていたがどんな人物かは全く知らず、一機にファンになった。

パイナップルの米国白人ドールハワイ王朝を乗っ取た時、東郷平八郎がハワイに戦艦を派遣し大砲を撃って威嚇した、とどこかで読んだ記憶もあった。

先日『東郷平八郎小伝 ー 至誠の栄光』(東郷神社•東郷会)を手にした。そこにハワイでの東郷の活躍が詳しく書かれている。

東郷は威嚇射撃ではなく、日本政府が承認していない米国ハワイに、礼砲を発射しなかったのである。

長くなるが下記に引用したい。

「明治14年(1881)に日本にも来たことのあるカラカウワ王が、前年(明治24年)に逝去した。彼はハワイを白人の手から護ることを熱心に希望し、日本に来て明治天皇にお会いした時、山階宮定麿王を養子にしてハワイ国の王位を継がせたい、と申し入れたほどであった。

 同王の死後、妹のリリオカラニ女王が王位を継いだが、白人に不利なように憲法を改正しようとしたので、在ハワイ米国人の反対に遭って、退位を余儀なくされた。...

 しかし政情はなお不安だったので、「浪速」は慰留民保護の命を受け、同年2月8日に横須賀を出港して同23日ホノルルに到着した。

 同地には、すでにわが軍艦「金剛」が先着し、また米艦三隻、英艦一隻も停泊して、大いに武威を誇示していた。

 仮政府は米国の保護に下に設立されたもので、大統領の政庁には米国旗が翻っていた。しかしわが国は未だ仮政府を承認していなかったので、仮政府の大統領に対して礼砲を発射することについては、「金剛」入港の時から問題になっていた。東郷「浪速」艦長もまた、「金剛」艦長の否定説に同意し、先方からの礼砲発射の申し入れを承知しなかった。

 従って大統領ドール氏が米艦訪問のために短艇に乗って通行する際、外国軍艦は21発の礼砲を発射して敬意を表したが、日本の軍艦だけは冷然として沈黙を守った。

 中略

 4月には同地の政情も幾分平穏になり、「浪速」は5月29日品川に到着した。しかし同年11月再び慰留民保護のためハワイに行き、翌年(明治27年、1894年)4月に帰国した。この行動中、1月17日ハワイ革命一周年祝賀会が行われ、仮政府から満艦飾と礼砲祝意を表してくれと申し入れて来たが、東郷艦長は筋が通らぬこの要求を拒否し、英•米の各艦もこれにならった。」

東郷平八郎、47歳の時のことである。

この東郷平八郎のハワイ先住民への思いは甥の東郷吉太郎が南洋統治の司令官となった際に影響を受けているように思える。

長くなったので、東郷吉太郎の話は次回に。