やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

東郷平八郎とハワイ (2) 甥、東郷吉太郎の南洋統治

日本軍が独領ミクロネシアを占領してからベルサイユ会議までの7、8年、同地を統治していたのが海軍で、しかもすぐに島の子供達の教育を始め、100%近い就学率であった、とどこかのペーパーで読んだ記憶あった。

矢内原が高く評価した南洋統治の原点が海軍にあるのでは?と思い資料を探していたら別の資料を見つけた。

飯高 伸五著「日本統治下マリアナ諸島における製糖業の展開 : 南洋興発株式会社の沖縄県人労働移民導入と現地社会の変容」史学 69(1), 107-140, 1999-08 慶應義塾大学

二代目の臨時南洋群島防備隊司令官は東郷平八郎の甥、東郷吉太郎なのである。

在任期間は大正4年(1915)8月6日から大正51年(1916)12月1日まで、とある。

彼の島への姿勢は現地の住民保護が強調されている。上記の論文から引用。

「・・・とりわけ現地住民政策を重視した。東郷は、従来の西洋の現地住民政策は「島民を動物視」してきたと批判した上で、天皇の恩恵の下に「島民」の「人格を認め島民の幸福を増進しその利益を啓発し、以て邦人の利益と融和するは即ち邦家の利益なり」として邦人と同等の利益を「島民」にも還元することが必要であると説いた。ただし邦人と「島民」とを単純に平等視し、対等に扱う訳ではなく、平等のうちに差別を設けるのは「天自然の道理」であるとして、「差別的一視同仁主義」を根本方針であるとした。」

このような東郷吉太郎の島民保護の姿勢は、日本企業保護を期待していた邦人起業家から批判を受けたようだ。

この東郷吉太郎の南洋統治理論は、アダム•スミスそのままである。

どこかでスミスの植民地論を継承する新渡戸稲造との接点があったのではないだろうか。そして勿論、前回書いたハワイのポリネシア王朝を保護しようとした東郷平八郎の影響があったのではないであろうか?