やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

アマルティア・セン 持続可能ーその方法と目的

Sustainability

「持続可能な開発」が花盛りである。

しかし、このSustainabilityと開発についてどれだけ質的に議論されているのか疑問だ。

アマルティア・センの論考をたまたま見つけた。

"The Ends and Means of Sustainability"

Journal of Human Development and Capabilities: A Multi-Disciplinary Journal for People-Centered Development, Volume 14, Issue 1, 2013

Special Issue: The Capability Approach and Sustainability

Capability Approach 潜在能力と開発を主張するセンにとってSustainabilityの議論は甚だ不満足のようである。

相変わらず難しい文章である。

Sustainability ー センが取り上げているのが1987年に発表されたブルントラント報告書 “Our Common Future”『地球の未来を守るために』。

誰のための持続可能か?確かに持続可能の概念によって環境研究が進んだ。しかしそれは人間の開発を満たす概念か?

ブルントラントは人間に必要な資源という視点から、各世代の貧困に資源が行き渡る事に視点を移した事は重要である。しかし、それで人間の自由の開発に十分か?

そしてだれが「持続可能」を決めたのか?決めるのか?

うまくまとめられないが、こんな感じの議論である。

持続可能 ー とはそれ自体が目的ではない。手段でしかない。なので「持続可能な開発」の概念は不完全である。

漁業資源のケースを簡単に観たい。

何のための誰のための「持続可能な漁業資源管理」か?

いったい魚をだれが食べているのか?魚を取るのは誰か?なぜ牛や羊ではなく(自然破壊の元凶)魚(自然破壊とほぼ関係ない)なのか?

イルカや鮫はかわいそうなのか?それとも人間にとって数が減るのが問題なのか?

もしくはイルカや鮫が減ると生態系のバランスがくずれるからか?

ところでイルカや鮫の数は誰がどのように数えるのか?

重要な質問は何のための「持続可能な漁業資源管理」か? であろう。

いったい人類はどの世代まで資源管理の責任を負う必要があるのだろうか?

貧困問題と「持続可能な漁業資源管理」はどのように関連してくるのであろうか?

「持続可能な開発」基本の部分をしっかり議論する必要がある。さもないとアラブのオイルマネーやハリウッドスターのマネロンに利用されるだけだ。