やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

Dr Berginの提案パラオで叶う(1)

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RMCCを提案した豪州のDr Anthony Bergin. 

完成間近のパラオのセンターは元々は彼の提案である。

自分で立ち上げた事業が継続し、発展していく姿を見るのは感慨深い。自分の子供の成長を見るようだ。

ミクロネシア海上保安事業の他にも、博論にも取り上げた南太平洋大学のUSPNetは日本のODAだけでなく世銀、アジ銀など世界中から支援が加速し、拡大するばかりである。

パラオで完成まじかの海洋警察事務所のポスターがあった。

出ては消え、出ては消えした案件である。

この歴史的背景を知っているのは私と羽生さん(笹川平和財団前会長)だけであろう。そしてこの案件の提案者であるオーストラリアのDr Anthony Bergin。早速彼には進捗を報告した。

<Dr Berginの提案ーRMCC>

2008年、ミクロネシア海上保安事業が開始した年、Pacific Patrol Boat Programmeという太平洋の海洋安全保障を支援してきた豪州はその活動を「アウフヘーベン」しようとしていた。平く言うと、王立海軍が「魚を追っかけるのは海軍の仕事じゃない!」と匙を投げた時に重なったのだ。

そこで代替案が検討され、海軍から国境警備隊の法執行機関にその機能を移行する事。そして現在ソロモン諸島にあるFFAの機能ではカバーしきれない多様な海洋安全保障の課題を調整する機関、Regional Maritime Coordination Centre(RMCC)を新たに設置することがDr Berginの報告書で提案され、オーストラリア政府が検討していたのである。

<勘違いした国交省と豪州外務省>

具体的な財団の支援策を検討する中で、日本の国交省か海保の方がキャンベラを訪ねた。そこでオーストラリア外務省がこのRMCCに言及したらしい。羽生さんの指示で急遽この案がなんであるか調べる事になったのだが、なんだ、ベルギン博士の提案ではないか。しかも豪州外務省は国防相や他の省庁と事前の打ち合わせもなく支援案件の「可能性」として日本の国交省(と海保?)との会合のテーブルに出しただけで要請したつもりはなかったのだ。日本の国交省は勘違いしたまま豪州からの提案として話が進んで行った。

<RMCCからsubRMCCへ>

ベルギン博士の提案では、地域の法執行調整機関があるフィジーのフォーラム事務局に併設する事を検討していたようだが、財団の事業はもともとミクロネシア地域を対象としていた。これは島嶼基金事業として既に基盤ができていたからであり、私の提案でもあった。

そこで豪州のリパーカッションがないようにミクロネシア地域を対象とした、すなわちsub Regional Maritime Coordiation Centerの可能性を当方から利害関係者に打診。ベルギン博士は賛成。豪州海軍、米国沿岸警備隊の対応は色々であったと記憶する。

<日米豪の海洋法執行調整機関へ>

この事業が開始した2008年は、日米豪の安全保障協力がギクシャクしながらも発展、改善され始めた時期である。3国の協力関係構築に果たした笹川平和財団の役割は大きかったと思う。

PPBPのすなわち豪州の海洋安全保障活動のセンターは日米豪、そしてミクロネシア諸国の海洋安全保障の調整組織となるのであろう。

この案件、私と羽生さんしか知らないもう一つの背景があるのでこれも書いて置きたい。