やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

国際法と国内法の関係(長尾龍一未完論文)

国際法というと、あのお経のような条文しか思い浮かばず、一生縁がないと思っていた。

正直な話、同志社に入ったのは国際法を、というより2008年から笹川平和財団で担当してきた海洋問題を体系的に学びたいとの思いで、思い切って高名な坂元茂樹教授の門を叩いたことが理由である。

国際法と国内法の違いもわからず、 under graduateの授業も受講させていただいている。

坂元教授のクラスで「国際法と国内法」のテーマとなり、英国のフィッツモーリスの「等位理論」が軽く紹介された。ちょっと関心を持ったので授業の後ググったら、長尾龍一博士の未完論文というのが出てきた。

長尾龍一博士はお会いしたこともありませんが、『アメリカ知識人と極東 ラティモアとその時代』で一気にファンになった先生である。ご専門は法哲学カール・シュミットも批判的に論じられているようである。(しっかり読んでいません。)

研究ノート「国際法と国内法の関係[未完] 」

――Gerald Fitzmauriceの「等位理論」について――

長尾龍一

http://book.geocities.jp/ruichi_nagao/fitzmaurice.html

フィッツモーリスが彼の「等位理論」でケルゼンを批判しているのだそうだ。ケルゼン支持者の長尾教授がこれは看過できない!と批判的感想を書かれた。

最後の文章がその表現も内容も面白いので引用しておきたい。

「Fitzmauriceが、国際法と国内法を窮極において統べているものが自然法であると述べているのは、失笑を禁じ得ない。自然法というものが存在するならば、それは歴史を超えた人類普遍的な規範でなければならないであろう。主権国家並立という特定の歴史的世界を誇張し、歪曲した二元論的モデルを自然法が保障するなどということは、考えてもおかしなことである。」

それにしてもこのウェッブサイトは興味深い。長尾龍一博士が自ら立ち上げた様子である。

最近、京大の高名な先生から、優秀な長尾龍一博士は単著を表さなかった、と伺ったことが印象に残っている。このサイトにある文章を斜め読みしたが、長尾教授の守備範囲の広さと、オカルト的な趣向(という表現が正しいかどうか)が、もしかしてその理由かと想像したりした。

それにしても読みづらいサイトなので、お弟子さんか誰かが整理してくれるといいのだが。リンクが切れている論文も多数ある。

Ryuichi Nagao Website, ORANOS

http://book.geocities.jp/ruichi_nagao/