東大卒の国交省官僚2人と直接働く貴重な機会があった。
一人は、羽生次郎さんで笹川平和財団前会長。もう一人は寺島さんで海洋政策財団前所長。
羽生さんとのやり取りはこのブログで散々書いて来た。
会長室で何度も吊るし上げにあったものの、羽生さんでなければミクロネシア海上保安事業は立ち上がっていなかったであろう。
まさに、吊り橋を走って渡るタイプ。
これと対称的なのが、寺島さんで石橋を叩いていつまでも渡らない。
2014年だったと思うが、島と海ネットの事業を立ち上げるから手伝って欲しいと業務指示があった。
羽生会長(当時)曰く、放っておくと千年も二千年も会議ばかりやってるから具体的事業を立ち上げるよう支援して欲しい、との事。
具体的事業立上げならばお手の物で、いくつも提案したが結局何も動かなかった。
私は吊り橋タイプなので、羽生さんの動きについていけた、というか羽生さんが私の動きによくついてきてくれた、と思った事が多い。
それに業務指示が豪快だ。受けた私も偉かった!
「ミクロネシア3カ国の大統領の合意を取ってきて欲しい」
半年でできました。
2週間で完了。
「オーストラリアがうるさいから行って来て」
日豪海洋協力100周年として安倍総理の西オーストラリア訪問アレンジしてきました。
羽生会長と散々もめた海上保安事務所が近々パラオで正式オープンする。
やるんだったらパラオですよ、と私がアドバイスしたのを無視して、現場を知らない有識者の意見か何かでミクロネシア連邦で進めた。これがとんでもない事になって尻拭いまでさせられ、結局パラオに落ち着いた。
この事業の経過を最初から知っているのは私と羽生さんだけである。羽生さんも私も正式オープンの場にいないが、もしこのブログを見てくれていれば、色々あったけど、乾杯しましょう。
海洋保護区も船の供与も、私はあまり賛成でなかったが、この事務所だけは進めたかったのだ。