6章 外務省を中心として
同志社の図書館で偶然見つけた『日本の国際法学を築いた人々』。斜め読みした後気になって再読したいと思っていた。今回はメモを取りながら読んできた。
最後の章である。
国際法は外務省の条約局が担当する。実務家と専攻学者が協力が理想である。明治の当初は「考法局」として存在した。条約局が新設されたのは第一次世界大戦後。
明治35年の外交官試験が引用されている。
そして1899年のハーグ国際会議から、国際法学者、準ずる実務家が出席した国際会議が紹介されている。パリ講和会議には安達峰一郎、立作太郎もいたのだ。委任統治制度ができる様子を隈なく見ていたはずである。
そして外務省条約局が雇われたThomas BatyとJean Rayが紹介されている。
最後の「まとめ」で著者の一又は明治以来の国際政治学者に「一貫して脈々として流れるものは、ナショナリズムであった」と書く。それは大国の奢りではなく、大国の圧力を感じながら日本の独立と平等を目指した。一又が「大東亜国際法」に力を入れていたことは別の論文で知った。
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