やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

サンフランシスコ条約三条の形成背景

今月開催する「再び やしの実大学in与那国」に講師でお呼びする松田良孝氏と「八重山ジャーナリズム」についてお話する機会があった。

友寄英正氏、上地義男氏、そして三木健氏。

三木氏には2000年に西表島で開催した「やしの実大学」にご参加いただき、西表炭鉱史をお話いただき、現場を訪ねると言う企画もした。その三木氏が「沖縄返還交渉」の本を1999年に出版されている。

現在奄美、八重山に展開される自衛隊の問題と共通するのだ。読み進めると全く現在の話題のように読める。自衛隊配置の問題だ。

さらに以前から気になっていたサンフランシスコ条約三条の形成背景が同書49ページから書かれていた。屋良主席と下田大使の会談だ。外務省千葉北米一課のメモとして情報が公開されたらしい。下田大使の発言を下記に引用しておく。

下田大使

… また屋良さん、あなたはちょうど日本の占領下の吉田茂氏の立場と似ている。あなたも、吉田氏のように一大事業をなす立場の人だ。私は事情を知る唯一の生き残りなので、この際、平和条約三条のいきさつについて申し上げておきたい。

 あの条約を締結当時、アメリカは沖縄の領有権を主張、中国も沖縄の帰属を主張、オーストラリアやニュージーランドも日本への帰属に反対した。そこで吉田さんはそうさせないために、国連信託統治にするようにし、なおかつそうならぬよう潜在主権を認めさせた。吉田さんのあの時の苦心については、自分は唯一の生き証人である。(この間、屋良主席はじっと目を閉じて聞き入っていた。下田は一段と語調を強めて)そこで私は、一日も早く円滑に沖縄を日本に返すことが大使としての使命であると思っている。…

これ一般に知られているのだろうか?