やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

太平洋のNGOと核問題

(2008年8月に書いたものです。)

 第6回太平洋NGO連絡協議会総会が2008年8月10―11日ニュージーランドオークランドで開催された。今年5月に訪問したマーシャル諸島NGO関係者から是非参加するように、との連絡を受けていたが、ちょうど東京出張が入ったので、初日8月10日の1日だけ参加することとした。

 太平洋NGO連絡協議会が設立されたのは1991年だが、その動きは1960年代に遡る。今回幸運なことに創立者の一人であるタヒチのTetiarahi氏と話すことができた。

 60年代は反核独立運動の波が太平洋に押し寄せてきた時期である。

 フランス政府がムルロアでの核実験を開始したのが1966年。米国がビキニ環礁での核実験を終了したのが1958年で、キリバスクリスマス島では英国と米国による核実験が1956年から60年代始めまで続いた。

 Tetiarahi氏がフランス本国で農学博士を取得したころ、自分の島が核実験場になっていることに強い反感を抱き、反核運動タヒチ独立運動を開始した。そして太平洋の他の島々でも、若者が同様の活動をしていることに共感を得て、さらに活動は拡大。後の南太平洋非核地帯条約「ラロトンガ条約」(1985年調印)へとつながっていったそうである。よって、太平洋NGO連絡協議会のルーツは反核独立運動にあり、太平洋島嶼国政府との関係も最近まで微妙であった。

 この関係を変えたのが、今月8月11日に突然亡くなったPIF事務総長グレッグ・アーウィン氏である。アーウィン氏は2004年のPIF総会に始めて太平洋NGO協議会を正式に参加させ、島嶼国政府との会話の糸口を作った。

 2008年にはニュジーランド政府が4.5百万ニュージーランドドルを向こう3年、太平洋NGO 協議会に拠出することを決定。豪政府、英連邦も支援をしている。

 日本との関係についてTetiarahi氏に訪ねたところ、過去に原水協反核運動に大きな役割を果たしていたらしいが、最近では今回私が参加したこと程度であるらしい。

以上。

早川理恵子