やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

桜と呪術

桜と呪術

  羽生会長から新しく立ち上げる研究会の事務局をやるようにご指示をいただいた。しかしすぐ後に財団から補佐業務でよい、との連絡。急に肩の荷が下りたので花見の計画を立てていたところに、また羽生会長から招集がかかり、やはり事務局をやるように言われて急遽資料収集を始め、花のことを忘れていた。常照皇寺の花は散り始めました、とインターネットに見つけて大慌てで仕事を終えて京都に飛んだ。

 常照皇寺は白州正子の『かくれ里』にあるが、私が最初に知ったのは、このお寺にある桜の前で立ち尽くし涙する武原はんと大佛次郎の出会いの場面を紹介した松岡正剛の「千夜千冊」だ。

 『かくれ里』は読まずに大事にとっておいた本だが、今回持参した。南北朝の戦いの犠牲者、光厳天皇が突然出家し、修業の旅の末、山国の常照皇寺に籠られた。白州正子はこれを儒教の「湛然虚寂」の心境、「天皇の孤独を、身をもって生きることの一つの表現だったに違いない。」と著している。

  白州は桜が本来「豊作を祈ったり占ったりするための」花であると言う。白川静と梅原猛の対談『呪いの思想』には「草摘み」が呪術であると書かれていた。坂口安吾の『桜の森の満開の下』は桜に狂う物語だ。花見とは呪術なり。

 さて、島と花見がここでつながる。「呪術」は太平洋や沖縄の島々で今も生活に密着している。日本も昔、敵対する勢力を貶めるため「呪詛」の疑いをかけた。太平洋の島では今でも病気や怪我をすると、誰かが呪いをかけたと信じ、復讐が行われる。数年前、バヌアツ政府が非常事態宣言を出した民族間紛争もそのことが原因だ。また「マジックネーム」と言って、呪いを避けるために一人で2つも3つも名前を持っている。南太平洋大学では同じ生徒が複数の名前で登録していることが悩みの種の一つ、と聞いたことがある。

 

 

 

 

 

 

(文責:早川理恵子)