近現代史研究の座標として、また小国の在り方を考える上で、2016年も新渡戸稲造と矢内原忠雄を引き続き読んで行きたい。
特に彼等の植民政策を中心にと考えているが、やはりその周辺の著作も重要なのである。
実は新渡戸稲造の「武士道」はまだ読んでいない。何度か本を開いた事はあるが難解で進まなかった。
昨年、李登輝氏の来日で、同氏が新渡戸稲造を高く評価しており、またその教えを受けた事を知った。そしてたまたま下記の著書を見つけた。
李登輝著『「武士道」解題』ー ノーブレス•オブリージュとは 2003年小学館
「解題」とあるので、簡単に読めるかもしれないと思っていたが1週間ほど時間を費やした。
やはり重い内容なのである。
それでも、キリスト教と武士道の関係が、なんとなく、本当になんとなくわかったような気がした。
英語で書かれた『武士道』を和訳したのは矢内原忠雄である。しかも矢内原が東大を追われた1937年の翌年の出版である。この時期に矢内原が新渡戸の『武士道』を和訳した意味にも深いものがあるのではないであろうか?
そうであれば、なおさら『武士道』は読まなければならない本だ。
この李登輝氏の本の中で次の課題としてメモだけ残しておく。
85頁にある、「札幌農学校」がキリスト教と武士道の驚異的な止揚の原点である事を新渡戸稲造研究の第一人者、花井等博士が『国際人 新渡戸稲造』に書いているという。李登輝氏推薦のこの本一度読んでみたい。
197-198頁にある茶道に関する叙述は、先月日本を訪ねた豪州ターンブル首相と安倍総理のお茶の席の意味を改めて考えさせられた。お茶を飲むという行為が規範と政治的行為、そして利休によって日常と非日常の美的世界が構築された事が述べられている。
お茶席を共にする、という行為が何を意味するのが、豪州の白人にはわからないであろう。。