やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

国際協力による太平洋島嶼地域の情報通信支援政策 - PEACESATのケーススタディを通して- 第一章

20年前に渡辺昭夫先生のご指導を受けて書いた修論が必要になり、やっと見つけた。

ウェッブ用に編集されていたので、ワードに修正しているのだが、懐かしい。

この修士論文に書いた内容は財団業務で得たものだし、20年前に書いたので古い情報もあるし、今読むと間違った自分の見解もあるが、そのままこのブログにアップしたい。

結構な量なので章ごとにわける。全部で5章ある。

国際協力による太平洋島嶼地域の情報通信支援政策

-PEACESATのケーススタディを通して-

早川理恵子 1999/1/10

第1章

序 論 太平洋のネットワーカー・・・カヌーから衛星へ

"Our forefathers traded in canoes. Hundreds of years later I'm talking to you through a satellite. But the message has not changed. We are friends. We are neighbors. We have a distinctive history and background and we can best protect our interests and further our expression through regional cooperation". Michael Somare Prime Minister Papua New Gunia, PEACESAT September 14, 1975

古代、アジアの海洋民族はカヌーに乗って自由に広大な太平洋へと乗り出し、その行動範囲を広げた。太平洋の海は人々を隔絶するものではなく、人々を結び付ける媒体であった。その媒体は今ではカヌーから衛星に取って代わり、ミクロネシアメラネシア、ポリネシアの人々をインターネットやさまざまな通信ネットワークがつなげている。今新たな太平洋のネットワーカーの時代を迎えつつある。 広大な太平洋の小さな島に住んでいる人々はどこから、いつ、どのようにして辿り着いたのであろうか。長年そのことを解明するための研究と議論が闘わされた。(注1)

民族学、考古学の研究で太平洋島嶼国の人々は、アジアから移動して きたモンゴロイドであることがわかっている。移動の理由はさまざまに想像される。人口の増加、政治的紛争や戦争による逃避、災害。 そして、そもそも人類は合理的な理由を持たず移動をする動物である という、ホモ・モビタリス説(注2)を唱える学者もいる。海の彼方に楽園を求め、あてもなくカヌーで漕ぎ出す、というのはなんともロマンティックな話ではあるが、実際は植物(芋、バナナなど)動物(豚、犬)女を連れての計画的移動であったようだ。

その移動は大きく3段階に分けられる。1回目は4~5万年前、まだ海が浅かったころ、ジャワあたりからニューギニア、オーストラリアに渡ったアボリジニーである。2回目は5~6千年前、アジアの海洋民がラピタ土器をもってメラネシアへ移動したと考えられている。サモアでこのラピタ人はしばらく留まっていたが、1000年前突然タヒチへ移動しその後北はハワイへ南はニュージーランドへ東はイースター島へと、現在のポリネシア大三角形を形成する頂点へ移動を続けた。太平洋の人々は、私たちが想像するような楽園にのんびりと平和に暮らしていたわけではなく、限られた資源をめぐって部族間の争いは耐えなかった。

1500年代マゼランのマリアナ諸島グアム島への上陸を皮切りに、 太平洋島嶼へ次々とやってきたヨーロッパ諸国は、キリスト教とこの部族間の争いを巧みに利用して植民地化を進めていった。海洋民である太平洋島嶼の人々、特にポリネシア、ミクロネシアの人々は高度に 発達したカヌーと星と風を読む航海術をもって、広い太平洋をかなり 自由に往来していたようである。現在ミクネシア地域にポリネシア人の住む島があったり、歴史には島間の交流(経済交流もあれば、侵略統治もある)が活発に行われていた記録が残る。太平洋島嶼国はヨーロッパ人によってミクロネシアメラネシア、ポリネシアと分けられたが、これらを区別する決定的根拠はない。

上記に述べたように人の移動は単純ではなく、また常に小規模な移動は行われていたと考えられるからである。しかし、現在では逆に島嶼国がこの3つの文化圏を政治的枠組みとして利用している。 ヨーロッパ諸国は船舶技術が発展するとともに、資源の確保を目的に太平洋へ次々とやってきた。油とペチコートの材料になる鯨を追って捕鯨船が太平洋を往来した。この船の補給基地としての必要性から、太平洋の島はヨーロッパの植民地となっていった。まずはキリスト教による島人の改宗活動が行われた。伝道者達はしばしば、島民に殺されたが、ヨーロッパ諸国の政府の支援を受けつつ、鉄砲と、部族間の争いを利用しながら、改宗は進んだ。 現在島嶼国の90%以上がキリスト教で、その影響力は現在の西欧諸 国の比ではない。キリスト教は社会の根幹として、人々の生活に深く浸透している。植民地支配の下、島民は奴隷として砂糖キビ畑の労働力となった。西洋人が持ち込んだ梅毒が島の人口を壊滅状態にさせた ところもある。いたるところで植民地支配に対抗する島の人々の抗争 が試みられたが、兵力の差は問題にならなかった。各島嶼国の選ばれた王族はヨーロッパ諸国の傀儡政権として、植民地支配体制を強化していく手段として利用された。しかし、2つの大戦は宗主国の経済を徹底的に疲弊させた。特にヨーロッパから遠く離れた小さな島々の植民地の維持は、経費がかかるわりには、収益が少ない。アジア・アフリカの植民地が民族の自決を訴え、闘争の中から独立を果たしていったのに対し、これら島嶼国自身は独立国として独り立ちするのはまだ時期早尚と考えていた中での植民地解放であった。

旧宗主国の遺産

太平洋には現在22の政治単位が存在する。独立国、 旧宗主国自由連合協定を結び自治権を持つ地域、他にアメリカ領の アメリカンサモア、ハワイ、グアム、北マリアナ諸島、フランス領の ニューカレドニア、フレンチポリネシア、イギリス領のピトケアン島 がある。太平洋島嶼国は大きく分けて英仏米の3つ西欧文化圏に分けられることができよう。 この中で一番多くの島嶼国が属しているのがイギリスの言語・教育制 度などを共通の文化として持つ英連邦である。(注3) ミクロネシアメラネシア、ポリネシアの太平洋島嶼地域の文化的多様性は言語 の多さとも一致する。 しかし、太平洋島嶼国は、公用語もしくは共通語として旧宗主国の国語である英語、仏語、米語を広く使用している。なぜならばこれらの太平洋諸国は独立後もこれら旧宗主国の援助に大きく依存しなければならず、かつ植民地・信託統治時代から引き継ぐ多くの西欧型の社会制度が旧宗主国との関係を深めているからである。

同じ太平洋島嶼国のパプアニューギニアには700~800の言語があると言われ、太平洋島嶼地域全体には世界の4分の1の言語が存在 すると言われている。しかしこの文化的多様性を克服し国家として、 地域としての統一を図るために旧宗主国の言語が有効に活用されている面も見のがしてはならないだろう。(注4) この地域の教育制度は歴史上、宗主国またはミッショナリーの影響を残しており、米国の旧信託統治ミクロネシアは米国の教育制度、南太平洋にある英連邦諸国はイギリスの教育制度、そして仏領ポリネシア、ニューカレドニア、バヌアツの一部はフランスの教育制度を使用している。(注5)

情報通信の本質

地球面積の3分の1を占める広大な太平洋の海に散在する多数の島々が、その物理的空間を乗り越えるためには宇宙通信の技術を利用することが不可欠である。このためのネットワークを南太平洋大学を初め各教育・福祉機関が今最も必要としている。しかし 情報通 信の急速な進歩は特に先進国において必要とされ、高度情報社会への取り組みも先進国主導で行われている。 情報スーパーハイウェイ構想の多くは太平洋地域でも島嶼国以外の環太平洋の国々で議論され、太平洋島嶼地域は置き去りにされているのが現状である。ベルの電話発明の背景を知れば、情報通信の本質は、孤独の克服にあることが理解できる。(注6)  稲村は情報インフラ開発は社会の弱者にこそ焦点が当てられるべきだと次のように指摘する。

「孤独の克服は単なる健康の問題でもなく、経済の問題でもなく、最後は良心や愛情や信頼の問題に行き着く。 現代の情報通信技術革命にしても哲学的基礎のないものはすぐさま陳腐化するか悪用されることになりかねない。国や社会の豊かさは『障害者や老人、あるいは社会的弱者をどう処遇するか』で決まる部分があると考える。技術開発や知識の集積も、単なる産業的な利用や経 済の成功のみが目的では、いずれ破綻をまぬがれない。次の時代が知識と情報の時代であればグラハム・ベルの発明した電話の開発の『人間的背景』を思い出し、心優しい知識と情報のネットワーク構築が必要となってくる。」(注7)  

しかしながら情報通信が国内的には国の秩序を維持し、産業を育成するためには欠くことのできない手段であることも事実だ。そして国際的には植民地の確保、貿易の発展、軍事上の優位をはかるためのかけがえのない武器であった側面は見逃せない。もともと情報通信技術は福祉・教育を目的とした「平和の増進」と軍事・経済に関連した 「利益の追及」という2つの面が複雑に絡み合う中で、発展してきたと言える。

1960年代からハワイ大学や南太平洋大学が挑戦してきた、福祉・教育を目的としたPEACESATやUSPNetと言った衛星ネットワーク構築への努力は、冷戦期における米ソ2大国の宇宙開発競争が背景にある。しかし同時にケネディは衛星の世界平和への利用を目指したインテルサットの設立にも貢献している。そして現代、米国のゴア副大統領が推進する「世界情報通 信基盤構想」(Global Information Infrastructure: GII)は情報通信の世界規模での市場の自由化と競争を促進するものであると同時に、世界中の人々にあまねく平等に通信サービスを提供する「ユニバーサル・サービス」(注8) のコンセプトを強く打ち出している。 PEACESATやUSPNetはケネディとゴア2人の米国の指導者による情報通信分野における世界的リーダーシップを時代背景に、太平洋地域の社会的弱者である島嶼国のための福祉・教育のネットワーク構築のモデル事業と言えよう。そして従来の市場原理とは一線を画した 地域協力によるネットワークとして、世界的にもパイオニアである。

本研究の目的

筆者は1994年に「太平洋地域の遠隔教育開発推進調査事業計画」を策定し、国内専門委員会を組織して2年に渡る調査研究を行った。同委員会は『太平洋島嶼国地域遠隔教育調査研究報告書』 (笹川島嶼基金、1995年)を完成させたが、筆者が当初意図していた太平洋地域の遠隔教育開発における政治的な視点が充分調査研究されなかった。情報通信の発展には3つの要素が関連すると考える。第一に通信技術であり、第二にコミュニケーションの方法及び内容の開発である。 そして第三に政治的要素である。筆者は太平洋地域における情報通信の開発には、メトロポリタン諸国の政府や通信事業者、太平洋島嶼地域の政府や地域機関等多くの利害関係者が関わっており、その政治的背景を解明する必要があると考えていた。もちろん同委員会が行った調査研究内容は太平洋地域の遠隔教育支援の指針提言をし、現在日・豪・NZ政府の協調案件として支援が決定しているUSPNet再構築案件を実現に導くことに大きな貢献をした。(注9)

本研究では、第2章で同地域の通信事情を国ごとにまとめ、その特徴 と問題点を浮き彫りにする。 次に同地域に多数存在する政府間地域機関の通信分野に関する各組織の動向をまとめる。 さらに遠隔教育のパイオニアでありそのことを組織のミッションとしている南太平洋大学の活動内容をまとめる。

第3章ではPEACESATの誕生から現在までの事実関係を明らかに し、情報通信市場が世界的に自由化する中で、国際社会の離島問題として太平洋島嶼地域を誰がどのように解決していくべきか、その経験から探る。 PEACESATは遠隔地域への公共通信サービスを行う理念的なモデル事業でありながらも、その実現段階においてはいかなる困難と政治的背景が存在するかを明らかにし、第5章でPEACESATが今後歩む道についても考察したい。

第4章では旧宗主国英米、及び日本の通信政策と太平洋島嶼国への援助政策に関する動向を調査分析する。小国である太平洋の国々はこれらのメトロポリタン諸国の援助に大きく頼っており、国の通信環境もこれらメトロポリタン諸国の政策に組み込まれているのが実情である。よってメトロポリタン諸国がどのような通 信政策を持つかによって太平洋島嶼国の通信環境が大きく左右されると言える。

そして第5章では情報通信の開発政策が自由市場原理を導入した大国中心のものではなく、「The Missing Link=失われた輪」(注10) に ある世界の大多数の人々に裨益すべき共有財産としてユニバーサル・ サービスが推進されることを提案する。また、情報通信技術の発展は世界の人々が情報を平等に共有するための人類の新しい挑戦であること以上に、「情報」が「与えることによって与えられる」という本質を持っており、その意味で情報格差の解決が重要であることを主張 したい。 そして最後に具体的提言として、現在進行している日米政府間のコモンアジェンダ(注11) の一つとして、太平洋の情報通 信支援を行うことを提案したい。日本は、アメリカがケネディの宇宙開発以来、衛星の平和利用を推進してきたことを評価しつつ、アジア太平洋の枠組みの中で新たなイニシャティブを発揮し、情報通信分野において日米間の協力関係を促進することになるであろう。また、この提言はゴア副大統領のGII構想にも沿うものであり、PEACESATの過去30年の 経験と知識、そして何よりもその人脈と人材が生かされた支援事業になるであろう。

注 釈

注1 ノルウェーの人類学者・冒険家トール・ハイエルダールはポリネシア人は南アメリカから渡ってきたと主張し有名なコン・ティキ号の実験 航海を成功させた。但し、ビショップ博物館の篠遠博士の釣針の遺物研究や人骨のDNA鑑定などにより、太平洋島嶼国の人々はアジア人であることがわかっている。

注2 片山一道教授、京都大学、霊長類研究所。長年クック諸島のマンガイア島で発掘調査を行ってきた、人骨研究が専門。日本クック諸島友好 協会の主宰者でもある。大貫良夫監修『民族移動と文化編集』11-78 頁を参照。

注3 英連邦メンバー国54カ国のうち南太平洋のある国は次の12カ国である。フィジー、トンガ、サモアソロモン諸島、バヌアツ、クック諸 島、パプアニューギニア、キリバス、ツバル、ナウル、オーストラリア、ニュージーランド。

注4 旧植民地が国家の多言語政策として、旧宗主国の言語を共通語として使用し、多様性を維持している例がインド、シンガポールなどに見られる。サミュエル・ハンチントン文明の衝突』82-89頁を参照。

注5 各国の言語・教育状況については付録資料を参照。

注6 電話の発明者アレクサンダー・グラハム・ベルは、現在も米国ボストン市にある、耳の不自由な児童のための学校の教師をしていたことが、電話の発明に対する根幹をなしている。メイベル夫人は耳がまったく聞こえなかったが、ベルと夫人の手紙のやりとりは、耳の不自由な夫人の方が気高く愛情に富み、発明に邁進するベルの短気と癇癪をなだめている。ロバート・V・ブルース、唐津一(監訳)『孤独の克服 -グラハム・ベルの生涯』を参照。

注7 稲村公望「国際秩序への模索」『国会月報』1992年7月号20-21頁を参照。

注8 OECDレポートでは「ユニバーサル・サービス」を次の4つに定義している。なお「ユニバーサル・サービス」の定義については国によって微妙に差異がある。

1. 全国何処にいても電話を利用できること

2. 誰でも経済的に電話を利用できること

3. 均質サービスが受けられること

4. 料金について差別的取扱がないこと。

林紘一郎、田川義博『ユニバーサル・サービス』中公新書、7頁参照。

注9 調査委員会は次の国内専門家から構成された。なお、肩書きは当時のまま。電気通信大学教授小菅敏夫(委員長)、郵政省通信総合研究所通信科学部部長飯田尚志、郵政省郵政局国際課課長 稲村公望、神戸大学教授 須藤健一、電気通信大学助教授 田中正智、グローバルコモンズ株式会社代表取締役 坪俊宏。

注10 電気通信に関する唯一の国際機関、国際電気通信連合(International Telecommunication Union, ITU)は、先進国と途上国との電話の偏在を解消するため、1982年独立委員会を設け1984年12月に提言書The Missing Linkを完成させた。「世界総人口の3分の2は電話を利用できない」というような事実が判明。(現在もこの数字は変わっていな い)。委員長をSir Donald Maitlandが勤めたのでMaitland Reportとも呼ばれている。

注11 21世紀を迎える世界が抱える諸問題に対する、日米共同のイニシャティブ。このイニシャティブは93年に日米包括経済協議の一環として 打ち出され、将来の世代が直面することになる重大な地球的規模の課題に両国政府と民間部門が参加して取り組んでいる。外務省Web (http://www/mofa.go.jp/mofaj/gaiko/chikyu/common/index.html) を参照。