やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

西尾珪子先生と太平洋の島々(松本重治氏の存在)

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西尾先生は大学を卒業された後、松本重治氏が創立した国際文化会館に就職された。その詳細は松本重治追悼集に西尾さんが自ら書いている。松本重治氏の厳しい指導を受けた西尾先生の仕事に対する姿勢に、いつも私はビクビクしていた。でもその緊張は私を育ていただいたと思う。厳しい言葉も多くいただいた。

その後西尾先生は国際日本語普及協会を創立し、外国人に対する日本語教育を行なう団体を育ててきた。初代理事長が松本重治氏で、西尾先生から何度なく松本氏の笹川批判を聞かされた。

私が近現代史という分野を全く知らなかった頃だ。ギャンブルの収益を公共事業に使うことへの批判と理解した。私はギャンブルを禁止すればアンダーグラウンドで運営されるので公営という方法はアリ、と考えていた。しかし、満州事変のあたりの軍部と組んだ国粋主義者たちの謀略を知るようになると松本重治が笹川良一を激しく嫌った理由がわかってきた。

私が企画した調査研究事業は日本語教育だが、西尾先生と寛子先生はその背後にある日本と太平洋島嶼国の関係までその関心を広げてくださった。今思えば、新渡戸稲造の薫陶を受けた松本重治の国際感覚、世界観の影響も否定できないであろう。私自身も外国語を学ぶということが言語を通した異文化社会の理解に繋がる事を学ばせていただいた。渡辺昭夫先生に司会をお願いし、インタビュー形式でお二人の意見をまとめて紙媒体の「やしの実通信」に掲載した。ウェブの掲載は削除されてしまっている。

沖縄出身の寛子先生は学術研究だけでなく、沖縄、ハワイ、東京とよく足を伸ばされていた。西尾先生同様、自由で開かれた視点を持つ女性だ。女性として仕事をする壁、ハラスメントの日々を送っていた私はお二人から元気をもらえた。寛子先生は当時スカイプを使用されていて、ほぼ毎朝のように(しかも早朝!)ご連絡いただいき、島の話を聞かれた。2年間もいっしょに太平洋を旅させていただいたので、公私共々心配していただきつつ、お二人の悩み愚痴を聞く役割も承っていた。

西尾先生も寛子先生も当たり前だが「ただ」の日本語教育・研究者ではなかったのだ。このお二人に出会えた幸運を感謝したい。