やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

西尾珪子先生と太平洋の島々(兄を守って)

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太平洋島嶼国の日本語教育調査研究が終了すれば西尾先生、寛子先生とも距離ができるはずだった。

しかし、私が團伊玖磨さんの妹さんである西尾先生と事業をしていることを知った笹川平和財団の幹部が、私を利用して團伊玖磨さんに近づく、という事件があったのだ。

その財団幹部が團先生が現れる場所を調べ上げて私を連れて行き「この子(当時私は32歳位)は妹さんと太平洋島嶼国の事業をしているんですよ」と紹介された。私はその時まで團氏に会ったことはない。一瞬何が起こっているのか理解できなかった。團先生から西尾先生に電話されたのかもしれない。詳細は覚えていないのだが、すぐに西尾先生から私に電話があった。その内容は衝撃的だった。

「その人を絶対兄に近づけないで。その人は信用できない人よ。兄を守って。」

いったいどうすれば團伊玖磨氏を、その詐欺師のような財団幹部から守れるか?私が構築した信頼関係はこのように利用されるのか?あの時の衝撃と頭の混乱はまだ覚えている。

團氏も太平洋の島々や沖縄に強い関心を持たれていた。私は当時自分が実施していた八重山諸島での事業「やしの実大学」の話をしたりして、團さんと接点を維持し、その財団幹部が入り込む隙をなくす努力をしたのだ。これはうまく行った。初めて明かす事である。

私の友人が團家のご家族の親友だった事もあり、しばらく交流は続いた。ご家族に八重山の事業にご参加いただいた事もある。

作曲家として團伊玖磨氏しか知らなかった私は『パイプの煙』を読んで、團さんの思想や島への思いを理解しようと努力した。そこに血盟団事件で暗殺された團琢磨氏の話も出て来て、はじめて近現代史に関心を持つことにもなった。テレビ番組でポナペにも訪ねたことを團先生から直接伺った。私が当時から関与し、発信していた太平洋や沖縄情報に関心を持っていただいた。

今思うと貴重な経験だったが、さらなる嫉妬や妬みも多く経験することとなった。

華族だった西尾先生の周辺は一歩も二歩も引いてしまうような人々がいた。通われた学習院の同窓は上皇陛下、オノヨーコ、松本重治のご子息。。西尾先生からお話いただいたこれらの方達との交流は書いても差し支えないような気がするが、今は書かないでおく。

西尾先生からは調査研究が終了しても麻布の満腹亭に呼んでいただき太平洋の話をよく聞かれた。ある時、寛子先生が教えてくれたのだが、西尾さんは当時の天皇陛下によく呼ばれて太平洋の島々の話をされていたそうだ。