元祖「太平洋島サミット」
米領の太平洋島嶼と太平洋島嶼国を結ぶ機関―PIDP(Pacific Islands Development Program)は1980年、東西センターの中に設置された。
60から70年代にかけて次々と独立した島嶼国。70年代後半にフィジーのカミセセ・マラ大統領とハワイのジョージ・リョーイチ・アリヨシ州知事は東西センターがハワイにありながら太平洋島嶼地域が対象となっていないことに異議を唱え、同センターの事業として「太平洋指導者会議」を開始した。元祖「太平洋島サミット」である。 ハワイ州を含む米領島嶼国、仏領島嶼国、太平洋の独立国の20の国と地域の首脳がメンバーとなっている。3年毎にサミットが開催されており、2010年は第9回サミットが予定されている。
1990年からPIDPを担当して来たフィニン博士は、この20年に5人のセンター所長が入れ替わり、センターの方向性がなかなか定まらなかったことを指摘した。基金はPIDPと情報交換をしてきたが、直接仕事をしたことはない。研究報告書を発行する以外、何をしているのかあまり見えないとの声も各方面から聞いていたし、同様の印象を持っていた。日本政府はPIDPを含む東西センターに毎年数千万円のグラントを出している。
現在はPIDPがデイリーで発行するインターネットニュース”Pacific Islands Report”がバランス良くコンパクトに編集され高い評価を得ている。昨年はトンガ人のPIDPハラプア所長が中心となって策定したトンガ憲法改正案が公表された。同案では政治に深く関与する現在の王制をより日本の天皇制に近い存在にすることが提案されているそうだ。現国王ツポウ5世も権限の委譲を希望する、と述べている。
PIDPの資源も限られており、同敷地内にあるハワイ大学や太平洋の関係機関とのコラボレーションで事業を進めている。今後ともガバナンス、環境、教育をメインに進める予定だが、方向性が合えば基金との恊働も前向きに検討したい、とのことであった。海洋問題に関心はないか、と尋ねたところ今のところないそうである。
最後にフィニン博士は個人的な意見として、日本政府が行ってきた「太平洋島サミット」の成果、特に沖縄で2回(宮崎開催を入れれば3回)開催した成果として、上記「太平洋指導者会議」に沖縄県知事がメンバーとして入っていただきたい、と述べていた。
(文責:早川理恵子 2010年2月4日)