やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

上野公園の抑止力

上野公園の抑止力

  京都清水寺の舞台を模した清水観音堂、比叡山延暦寺を模した東叡山寛永寺、不忍池が琵琶湖。天海の作品だ。上野公園が京都のコピーであることを教えてくれたのは確かフランスの友人だった。徳川幕府も、天皇家や京都の威光が重要だったのだろう、と勝手に考えていた。

  政治はそんなに生易しくないようだ。上野公園は徳川幕府の天皇家人質政策だった。参勤交代を義務化した大名だけではなく、天皇も人質の対象だった。

  京都の古書市で『天皇と武士』という本を見つけた。昭和45年、淡交社発行。歴史の京都、というシリーズだ。「京都の歴史」ではなく「歴史の京都」であるところが気になる。執筆者がすごい。今東光、草柳大蔵、瀬戸内晴美等々。

  同書、今東光の「天皇と武士」から引用する。

 「天皇家が風前の燈火のような危機にあったのは、戦後国時代の無政府状態の時よりも寧ろ徳川時代に入ってからだ。家康は江戸に城を構え謂ふところの幕藩体制を整へて行く過程において、何時でも天皇家と戦える体制を築いていた彼は上野忍岡に東叡寺を建て、皇族を申し下して、輪王寺に置き、この人質をもつて南北朝を再現する用意を整えた。何故なら、日本人は錦旗の許に馳せ参ずるからで、この大義名分を正すことは国軍の動向を決することを知っていたからだ。」

 

 江戸250年の泰平の世の背景には、徳川幕府の周到に企てられた「抑止力」があったのであろう。しかし人工的な上野公園に吉野山に見るような霊気は感じられない。