やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

南禅寺のイケズが生んだ岡崎の名園

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「早川さん、京都観光していると論文が終わりませんよ。」と高名な先生からの一言が頭を離れない。 京都にいると1年中観光できる。

春の桜が終われば、山吹、紫陽花、夏の祇園、大文字。 そして、秋は紅葉。 これを観るために日本中、世界中から何十万円もかけて来るのだ。 これをタダで観れる幸運よ。高名な先生からの貴重な忠告は紅葉に消し去られた。

 

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無鄰菴の夜間公開行ってきました。 庭師の講演つき。面白い話を聞いた。

山縣有朋は東京にも椿山荘を作り、随分庭好き、お金を持て余していたのか?と想像していたが違った。 「天皇さんが東京に行かれて京都の産業を廃れました。再興すべく琵琶湖から水を引いてこのあたりを工場にしようとしたんどす。ところが南禅寺さんが意地悪をして土地を買ってしまい、工場が作れなくなったんです。」 「なんで、南禅寺が?」 「南禅寺は武家面と言いまして、徳川家。明治政府をイジメたんどすな。それで工場が立てられずしょうがないから別荘地にしようという事になり、まずは首相がその模範を、という事で身銭でつくらはったんどす。」 山縣有朋は庭好きでも、お金を持て余していた訳でもなかった。

 

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もし南禅寺がイケズをしないで工場地になっていたら、名園はできていなかったし、戦争中に爆弾を落とされていたかもしれない。 山縣有朋は、まさか100年後に無鄰菴が多くの観光客を迎えることを夢にも思っていなかったであろう。

 

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