やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

米領サモアからツナ缶工場がなくなるとサモア独立国に海底通信ケーブルが敷かれる話

風が吹くと桶屋が儲かる話の太平洋シリーズ第4弾。

 

 以前、米領サモアのツナ缶工場が自由貿易の波を受け閉鎖されたことによって、そこで働いていた多くのサモア独立国の人々が職を失い、サモアは経済的関係を西に位置するニュージーランド、豪州に合わせるため日付変更線や車の走る方向まで変えた話をしました。

 

 2009年とちょっと古いのですが、このツナ缶工場がなくなったおかげで、サモア独立国に海底通信ケーブルが敷かれてブロードバンドで世界中に繋がった話をしましょう。

 

PROPOSED FISCAL YEAR 2008 BUDGET REQUEST FOR THE DEPARTMENT OF INTERIOR'S OFFICE OF INSULAR AFFAIRS | Congress.gov | Library of Congress

  米国が「鳥のウンチ島法」まで策定して展開した拡張主義時代。苦労して手に入れた東サモアであった。冷戦時代も共産主義から太平洋を守るため苦労して米国の影響下に置いた東サモアであった。パンゴパンゴ湾は南太平洋一の良港と言われており、1942年には日本軍の潜水艦が攻撃をしている。

 しかし、米国はこの島に、長年ろくな支援をして来なかった。冷戦終結以降はその存在さえ忘れていたのではないだろうか?

 

 米国から受けた恩恵は、米国本土より安い労働賃金を認め、特別な税制で企業誘致を支援する、という内容であった。

 結果、米国資本のツナ缶工場会社が利益をむさぼり、労働の機会はお隣のサモアの人々に。地元米領サモアへ落ちたお金は米領サモア経済の自立を助けなかった。米領のマリアナ諸島と同じ状況だ。

 

 ツナ缶工場の閉鎖が決まった2007年、トギオラ・トゥラフォノ知事は米国内務省に訴えた。内務省は、米領サモア始め、米国の旧植民地領を管理する省である。

 米国は何もしてくれないじゃないか、ツナ缶工場はろくな結果ではなかったし、閉鎖されてしまう。私達はどうすればいいのか?

 海底ケーブルを敷いて通信の環境を改善し、経済を支えたい、と訴えた。

 この訴えが功を奏し、予算が付いてハワイと米領サモアが海底ケーブルで結ばれる事になった。

 (上記米国内務省の予算会議議事録8頁辺りに書いてある事をかなり意訳しました。)

 使用するケーブルは、ハワイとニュージーランドを結んでいたもので2007年に廃棄された中古品である。

 

 元々親戚、お友達の独立国サモア(ドイツ領からニュージーランドの統治を経て独立)がこの話を耳にしたのか、米領サモアが打診したのか、背景はわからないが、米領サモアまで海底ケーブルが来るのであれば200キロしか離れてないサモアまで敷いてよ、という話になった。

 それで目出たくサモアもブロードバンドで世界につながったのである。2009年の話だ。 

 

 東サモアとハワイが同じ米領だったから実現した話かもしれない。米領サモアが米国から受けた恩恵はこの海底ケーブル位じゃあないだろうか。離島振興とか、旧植民地の離島に対するユニバーサルサービスを、米国は怠ってきた。

 そんなに米国が邪険に扱うのであれば日本と自由連合(米国式ではなく国連基準のNZ式)を締結したらどうか?米領サモアはグアム同様まだ政治的地位が確定していない。トギオラ・トゥラフォノ知事とは面識がない訳ではない。今度打診してみよう。