大学の教授だって人間だから、間違いはあるのだ。
先日、某大学教授のペーパーが間違いだらけ、誤解だらけで、放っておいていいのか悩み、知り合いの違う教授に相談したところ 「放っておけ。処世術を優先せよ。」というアドバイスをいただいた。
身に覚えがある。もう20年前以上の話だ。
千葉大学の教育学修士課程に在籍していた。相当ショックだったんだろう。まだ覚えている。
教育学に「羅生門アプローチ」というのがある。外国の研究者が考案。
「芥川の『羅生門』のことですが、小説の内容とどう重なるのか、僕には理解できません。」
芥川ファンだった私。
「先生、外国の方が羅生門と言う場合、黒沢監督の映画のはずです。そうであればあれは『薮の中』という小説が取り上げられおり、このアプローチは正しいと思います。」
その教授の顔が真っ赤になり、無言になった。
その場にいた学生は10人位だった。
明らかに、教授のプライドを深ーく傷つけてしまったようだ。結果、単位は取れたが最低点だった。
やっぱり、教授の間違いを指摘するのは処世術に響くのだ。
「えー、僕知らなかった。早川君よく知っていたね。教えてくれてありがとう。成績は優にしとくよ。」と言われたら、大学教授を尊敬していたかもしれない。
この事実から導きだされる理論は、大学教授の話は間違っていても誰も修正しないので信用しない方がよい、ということである。