やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

白豪主義を誘引した強すぎる日本の軍事力

平間洋一氏の論文の最初の部分(下記英文)を読んでいて、ハッと気づいてしまった。

人種差別どこにでもある。しかし、これを国是に、National policyにするのは意味が違う。

白人豪州の人種差別はここまで徹底するのか、と啓蒙主義の罪を、普段より嘆かわしく感じていた。

白人豪州が有色人種というより日本人と協力したくない!と思ったのは1894年の日清戦争の勝利で日本を脅威と感じ始め、日本を仮想敵国とした事が誘因のようである。さらに、同年に締結された日英通商航海条約には何がなんでも参加したくない、との思いを豪州は強くもった。

白豪主義が最初に合意されたのが1895年。(全州の合意ではなかった)1901年以前、豪州はまだ英国であった。よって日英間の決まり事は豪州にも影響する。

豪州白人の心理的背景として、今までさんざん人の土地に侵略、略奪、虐殺してきた自らの歴史を振り返ればいつか自分たちも同じ目に遭う、と想像するのは容易いであろう。

そんな事を日本人はしません。きっとアボリジニの独立国家を支援していたであろう。

ニュージーランドも日本が来ていれば今頃マオリ人の国家が存在していたに違いない。

豪州の白豪主義。人種差別もあったと思うがそれを誘因したのは、実は強すぎる日本の軍事力(経済力も)だった?

もし、そうであれば、日豪間の防衛協力には日清戦争以来の両国の課題、ー トラウマ、ジレンマ、パラノイアが決定的に背景として存在する。

200海里を誘因したのも(ブリストル湾事件)日本のようだが、本件、どうか私の勘違いであって欲しい。

引用 

Yoichi Hirama, "Japanese naval assistance and its effect on Australian-Japanese relations" から

Japan’s victory in the Sino-Japanese war of 1894-1895 greatly changed the Australian view of Japan. The military, especially the Royal Australian Navy, started to examine the Imperial Japanese Navy, now emerging as a first rank power in the Far East. A naval exercise was held ~u i 895 with its object being to defend Sydney from a hypothetical attack by the Japanese Navy.1 Furthermore in 1896, being uneasy over the increasing power of Japan, the Australian parliament passed resolutions excluding all coloured races from Australia and urging Australia to abstain from participating in the treaty of Commerce and Navigation signed between Great Britain and Japan in 1894.