今回来日したチャタムハウスのクレオ・パスカル女史もオーストラリアへの不満を示していた。他方、オーストラリアも一枚岩ではなく、学者、外務省あたりと、パスカル女史の事業に助成している豪州国防省は全く違う認識である、とのことだ。
そういえば、先日あった外務省の大洋州課は私の話をバカにするように聞いていたが、防衛省やインド太平洋司令軍はわざわざ連絡して来て熱心に話を聞いてくれる。
ところで、SNS で「オーストラリアの反日は太平洋戦争からですよね。」と私のJapan Forwardに寄稿した記事を読んだ方からメッセージをいただいた。
「とんでもない!日清戦争以降ですよ!」
色々な資料でこの史実を知っている私にとっては驚きだったが一般の人の理解はその程度なのだ。そこでウェブでもアクセスできる資料を探したら竹田いさみ先生の論文が出て来た。
白豪政策の成立と日本の対応 -近代オーストラリアの対日基本政策-
国際政治の1981 年 1981 巻 68 号 p. 23-43に掲載された論文だ。10ページほどの論文なので、一般の方も読むのが辛いというほどではないと思う。
そう、日清戦争からなのだ。もともと1850年代のゴールドラッシュでやって来た中国人に対する差別が起源。日本との関係が表面化するのが1894年の日英通商条約締結と1901年までの日英同盟締結の8年。日本の移民は少なかったし、移民先も豪州北部で目立たなかったが日清戦争と日英通商条約締結によって意識されるようになった。
興味深いのは人種問題が日豪関係の緊張につながったのは、日本だけが自国の移民に対する差別に抗議したことである。他国は抗議しなかったのだ。すなわち日本は当時から欧米諸国に並ぶ国家としての責任と人権意識を持っていたと言って良いであろう。
もう一点、竹田論文で興味深かったのが豪州人がこの白豪主義を批判していたことだ。1903年に出版されたColorphobia: an Exposure of the White Australian Fallacy, E. W. Foxall。当たり前だ。すでに欧州では人権意識が芽生え、肌の色による差別を否定していたはずである。豪州の白豪主義に対して日英が共に抗議の姿勢を示している。
この豪州の白豪主義と反日感情。未だに存在することは否定できない。他方、100年前と同じくそうでない豪州人も沢山いる。日英が協力して豪州を諭す可能性もある。