やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

欧州人に「自由」を誤解させた「太平洋の善良なる未開人」

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6月5日の正論サロンで使うパワポの最後の一枚。自決権を触れたい。何で小島嶼国が誕生したのか?

 

自決権にもつながる「人間の自由」。

「すべての人間は、生れながらにして自由…」世界人権宣言の第一条。

このあやふやな概念の起源の一つに太平洋島嶼の人々が関わっているのである。

 

実は一つ目の博論でもこの件は情報の伝播の観点から極軽く触れたのでなんとなく知っていた。阿川尚之先生の米国に関する授業を聴講したとことがきっかけで、自決権の根源としての「自由論」が見えて来た。

阿川教授の授業は米国の建国を支える哲学「自由」の概念をマルクスから入るのだ。まさかこんなところでマルクスの共産主義を学ぶ機会を得るとは思わなかった。マルクスの共産主義宣言にある「共産主義という妖怪」という表現の元祖はシュタイン!などと余計な事を言ったために、御代がわりの10連休は大学の研究室に篭ってシュタインをまとめる事となった。その中で、シュタインもフルボッコしているルソーの個人の自由論がフランス革命で国家の(民族の、もしくはプロレタリアトの)自決権にとって変わられた背景を確認する事ととなった。

自決権の理論枠組。ここまで触れるつもりはなかったのだが、指導教官の坂元先生も自決権はフランス革命から、とのことなので腹をくくることとした。チャゴス判決も自決権だし。。

 

学術論文書くには学術論文を参考にしないとアカンのだ。そこら辺のおじさんの与太話ではアカン。ウェブサーチするとあった!しかも日本語で。鈴木球子博士の論文だ。「啓蒙思想時代の異国のイメージ」(言語と文化、愛知大学、No36、2017年1月)

https://taweb.aichi-u.ac.jp/tgoken/bulletin/pdfs/NO36/07p073-090suzukit.pdf

以下、鈴木博士の論文から引用する。

・18世紀、ルソーをはじめとする欧州の啓蒙思想家は私有財産のほとんどない平等な自然状態にある「善良な未開人」「高貴なる野蛮人」を思い描き、それは1771年に刊行されたブーガンヴィルのタヒチ島の様子そのままで、南太平洋に実在すると思った。

・1775年の「人間不平等起源論」には文明化以前の人間の自然状態について論じ、Bon Savage (善良な未開人)を描き出した。

・ルソーは文明化の頽落が「徳なき名誉、知恵なき理性、幸福なき快楽」に貶めた、と説く。(プロパガンダ!)

・富の蓄積・所有が人間の間に不平等を生じさせ、自然状態にとどまれず社会契約によって各人の財産と身体を守る必要がある。(ルソーってばか?)

・ルソーはカリブ人を想定し、「善良な未開人」に「堕落した文化人」を対等させた。

・このアイデアはルソーが発案者ではない。16世紀ルネサンスの思想家モンテーニュからルソーは多くの着想を得ている。そこには文明社会への批判がある。

・モンテーニュが書いた新世界の野蛮人の人喰いの習慣をルソーは書いていない。自然状態を平和なものとして描く。(ルソーお得意のプロパガンダか)

・善良な未開人のモデルはエデンの園、地上の楽園、アルカディア、エルドラドといった理想郷。重要なのは聖書的文脈で語られること。77頁

・ヴォルテールも同じコンセプトで小説を書くが主人公はエルドラドから金を持って恋人のいるヨーロッパに戻ることを考える。

・ブーガンヴィルはたった10日間のタヒチ滞在でエデンの園を描く。しかしその視点はタヒチ人にヨーロッパ人との共通点を求め、ギリシャ美術的肉体美のバイアスがかかる。

・ブーガンヴィルは自分の認識が間違っていることをすぐに知った。実際には島は不平等で、身分の差別は激しく、奴隷の命は王が握っていた。79頁

・しかしブーゲンヴィルが最初に紹介した間違ったタヒチの話が多くの文学作品に取り込まれていった。

・ミシェル・ドロンは「ブーガンヴィル世界就航記補遺」を含む三部作は性的モラルと関わっていると指摘。

・タヒチでは欧州的な貞操観念ではなく、妻は夫の許しがあれば他の男と関係が持てるし、未婚の女性は複数に恋人を持つことができる。(これ一昔前の日本と同じ)

・太平洋島嶼の視点は(実際は島の視点を装った啓蒙思想家)はキリスト教の性的禁忌が根拠がないことを明らかにしていく。80頁

・「世界全体の利益が個人の利益に優先すべき」という概念を欧州の啓蒙思想家はタヒチ人に語らせる。

・太平洋の島々の性的営みは一見自由に見えても実は多くの掟、タブーがある。

・1772年ディドロが書いた「ブーガンヴィル世界就航記補遺」は、タヒチの実像とは関係のない、欧州社会の反映でしかない。82頁

・鈴木博士は残酷なアジアとアフリカという節を設けているがここは省略する。

 

感想

これを読みながら思い出したのが『シュリーマン旅行記 清国・日本』。シュリーマンは浅草のお寺で、花魁の絵姿と仏像が並んで飾られている様子を見て立ち尽くしてしまう。

「それは私には前代未聞の途方もない逆説のように思われた----長い間、娼婦を神格化した絵の前に呆然と立ちすくんだ」

yashinominews.hatenablog.comルソーが描き出した「自由」はプロパガンダでしかなく、自由な性的営み(多分ルソー自身の)を正当化するものであった、と思う。それはエンゲルス(特に起源の著作のようだがまだ読んでいない)に引き継がれ共産主義宣言では自由恋愛が主張され、そのままイデオロギーとしてソ連に引き継がれる。この議論展開をどこかで読んだのだがどの資料か思い出せない。そうするとこのありもしない個人の自由というイデオロギーから派生した「人権」「自決権」は一体何なのであろう?自決権が曖昧な概念で国家の構造を破壊する危険を含んでいる(カッセーゼ、1995)ことはルソーのプロパガンダ、もしくは欧州の啓蒙思想と関係しないだろうか?今のところそのような議論を見たことはないし、自分がそんな議論をする勇気はないのだが、問題提議だけしておきたい。