ダブ・ローネン『自決権とは何か』ナショナリズムからエスニック紛争へ
本書は以下の6章で構成されている。
第1章 自決の外観
第2章 5つの政治的表現
第3章 基本への回帰
第4章 四つの事例
第5章 現代国家と国際システムへの示唆
終章 将来の展望
第1章の「自決の外観」 だけでも十分と思えるような議論が展開されている。全章を一気にまとめようと思ったが無理なので徐々にメモしておく。
この章の最後のシメの言葉がそのまま太平洋島嶼国に当てはまる。
「自決権を追求する人民は、旗が多ければ自治が少なくてもそれを喜んで受け入れるのであって、その逆ではない。」
和訳が多少ニュアンスを伝えていないように思える箇所があるが、それは私の理解力のせいであろう。この文章の「その逆ではない」というのは、自治能力が無視されただただ国家が誕生すれば良い、即ち自治能力が重要で、旗の数は重要でない、という仮説は受け入れられないということだ。(37頁)
最初に自決権をフランス革命から、現代史の概観といタイトルで追っていく。
フランス革命の思想は、ナポレオン一世の支配を通じて民族主義者の情熱を培い19世紀の西ヨーロッパを熱狂させる。続いて政治的自由のための国民的闘争、経済改革のための社会闘争の二局面に展開。その中で影響を持ったのがカールマルクスで、自由で平等な社会を達成するためには生産手段を持つ所有者を打倒せよと叫んだ。ローネンは書いていないが平等のために暴力を正当化したのはルソーである。イギリスでは労働運動が起こった。4頁あたり
次の節は小泉信三の共産主義批判を読んでいたのでよく理解できる箇所だ。
1848年の共産党宣言は1917年のロシア10月革命で頂点に達する。フランス革命思想はスラブ・ナショナリズムにつながって第一次世界大戦につながる。オーストリア皇太子、フェルディナントを暗殺したのは熱狂したスラブ人であったのだ。
第一次世界大戦では自決権は戦争目的にもなっていたし、ウィルソンがそれを代弁した。チェコスロバキア、ハンガリー、ポーランドなどの独立。イギリスにおけるアイルランドの独立。オーストラリア、ニュージーランド、カナダの自治権拡大。自決の原理は政治的に利用されていった。ヒトラーも自決の名において占領を進めた。(6−8頁当たり)
大西洋憲章にも自決の責任が確認された。それは国際連合の憲章、人権規約、植民地付与宣言、という形で承認されている。しかし対象は植民地となった。そして自決権は一つの民族の限定されず、その意味は他人に支配されない、即ち植民地支配を受けない、人間の権利に基づいていることが明確にされた。国際連合のpeopleは植民地人を意味しているのである。(9−10頁当たり)
自決についても問題の要約という節では自決権が支配者からの自由と思想であり法律ではないことが指摘され、さらにその手段は残酷である。さらに植民地支配からの自由は生活の改善がもたらされるという期待をさせたのだ。これは多くの場合幻想、とくに新興国の弱者にとっては悪夢でさえあったであろう。さらに自決権は「われわれ」というアイデンティティを生み出すこととなった。
自決の分類に向けて、 の節。
ルソーは貴族を引き下ろし、マルクスは貴族だけでは十分ではない、即ちブルジョアを引き下ろしにかかった。(自分が寄生虫ブルジョアのなのに!)
第二次世界大戦後、アジアアフリカが独立のために戦った。そして初めて植民地支配は従属(一方的依存)の一形式とみなされ、それは受け入れることができないものとされた。ここには日本の戦争目的であった東亜の解放が影響しているのであろう。もし矢内原を東大から追い出さずにまともな植民政策論が日本にあればこんな展開にはなっていなかったかもしれない。