やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

小泉信三著『共産主義批判の常識』

小泉信三著『共産主義批判の常識』

「7搾取論」と「6階級と民族」の紹介、

  1. 小泉信三著『共産主義批判の常識』の背景
  2. 著者、小泉信三(1888−1966)について
  3. 自分のマルクス、共産主義への関心
  4. 7搾取論(小泉信三著『共産主義批判の常識』)
  5. 6階級と民族 — 歴史的叙述—(小泉信三著『共産主義批判の常識』)
  6. マルクスと自決権の議論
  1. 小泉信三著『共産主義批判の常識』の背景    

 発表に当たって参照したのは同志社図書館にあった講談社学術文庫昭和62年の第15刷である。同文庫の第一刷は昭和51年なので10年間に15刷られたことになる。同書は1949年(昭和24年)新潮社から出版され、1954年(昭和29年)には新潮文庫から出版されている。日本における共産主義の動き(共産主義革命)(昭和24年、昭和29年、昭和51年)に関わる時代的背景がわかればこの出版の時期の関連が説明できるかもしれない。

f:id:yashinominews:20200428190144j:plain

 

  1. 著者、小泉信三(1888−1966)について

 私は小泉信三についても『共産主義批判の常識』という本についてもこの授業で初めて知った。ウィキで調べる程度しかできなかったが上皇陛下と上皇后陛下の戦後の教育係であったことも初めて知った。誰が小泉を教育係に指名したのであろうか?昭和天皇であろうか? 指名した理由は?

 小泉信三の父小泉信吉(1853−1894)は和歌山出身で福沢諭吉の蘭学塾に入門。神童と呼ばれ1876年に23歳でロンドン留学している。この頃東郷平八郎もロンドン留学していている。二人の接点はあったのであろうか?1894年に41歳の若さで死去。この年小泉信三はまだ6歳である。父のいない少年時代、青年時代を小泉信三はどのように過ごしたのか?小泉信三の思想信条等々、関連の資料を読んでみたい。

 

 

  1. 自分のマルクス、共産主義への関心

 小泉信三著『共産主義批判の常識』を読むに当たって、自分のマルクス、共産主義観を書いておきたい。その名前は知っていても一度もマルクスの、また共産主義の本を手にしたことがない。ただし、日本の植民地政策に関心があり、それを主導した新渡戸稲造の書籍を読む中で共産主義に関する指摘があり、その内容が自分の意識に刷り込まれている。それは次の2点である。

 第一に新渡戸はドイツのシュモラーがマルクスには正義や公正がない、まともな学者は相手にしないことを紹介している。

 

f:id:yashinominews:20180826092651j:plain
ドイツの経済学者グスタフ・フォン・シュモラー

 

 新渡戸全集第五巻、第26章「学徒の模範」でドイツの経済学者グスタフ・フォン・シュモラーが紹介されている。新渡戸はベルリン大学でシュモラー博士の指導を受けたのだ。彼の学徒としての行動を高く評価すると共に、シュモラー氏のマルクス批判が話の途中で項目を別にして立てられている。新渡戸も同じ意見なのであろう。

以下新渡戸が引用したシュモラー氏のマルクス批判。

「しかしマルクスならば一度は読んでご覧なさい、文章もなかなかいいところがある。歴史を述べるところ等は面白く読めます。さうして論鋒も頗る鋭いですけれども、あの人の歴史の読み方が、大分間違っているように思う。逆境にをつて書いただけあつて、正義とか公平とかいふ方面には大分欠けてをるように見受ける。また哲学的のところもヘーゲルを焼き直したやうな所が多いが、確かに新味はないでもない。先ず中等教育を受けた者は彼を面白く読むでせうが、しかしわれわれ学徒の眼から見ると、ただ際どい、かつ巧であるといふだけで、読めば慰み半分に読むくらいのもので、真面目になって彼の説を読むような気はしません。」

 シュモラー氏の言葉と裏腹に、新渡戸がこの文章を書いた40年後には、マルクスの名が日本に輸入され、神の如く尊敬されているのは不思議である、と新渡戸は述べている。新渡戸は後40年もたてば日本でも忘れられるだろう、と書いているが新渡戸がこれを書いたのが1920年後半であろう。即ち40年後とは1960年頃。 西洋の学者はマルクスハンガリー動乱を機に捨てたが、日本の研究者が崇拝し続けていた事を新渡戸先生が知ったらなんと思うかであろうか。

 第二は新渡戸が共産主義の恐ろしさを身をもって体験した事件だ。新渡戸は訪問先のカナダで亡くなる1年前の1932年に「日本を滅ぼすものは共産党軍閥である。そのどちらが怖いかといえば軍閥である」と新聞記者にオフレコの席で述べたのだが、記者は聞き捨てならないと記事にし物議を醸して新渡戸は命を狙われる。翌年の1933年新渡戸は訪問先のカナダで亡くなるのだが、カナダは太平洋問題研究(IPR)の会議が開催された場所で、IPRこそ共産主義の、コミンテルンの牙城であった。

 新渡戸のマルクス観に加え、マルクス・共産主義は自分の一つ目の博士論文にも関連しており関心があった。開発学の参考文献にマルクスは全く意図していなかったはずだが、現在の途上国問題の議論(イデオロギー)を先取りしていた、と指摘されていた。(誰がどこに書いたのか要確認)気になった記述であったが、マルクスに手を出したらさらに数ヶ月、下手をすれば数年の時間が必要となることを危惧し敢えて深入りするのは回避した。マルクスの文書にある「搾取」「〇〇からの解放」「平等」などがそうであろう。

 「〇〇からの解放」は自決権の議論にも関連してくるのではないかと考える。この自決権の議論は現在取り組んでいる2つ目の博士論文の理論枠組となる予定なので、マルクスの議論に触れる機会をいただき感謝している。

 海洋法条約を扱う博士論文執筆に関連しもう一点マルクス、共産主義と関連するのが国連海洋法条約の基盤概念「人類共同の財産」Common Heritage of Mankindである。これは1967年に独立したばかりの旧英領小島嶼国マルタのパルド大使が主張したコンセプトである。技術先進国の海底資源開発独占を懸念した提案で国連総会で4時間に渡る大演説を行った事で有名だ。そしてこれをきっかけに現在の海洋法条約が作成され、パルド大使は「国連海洋法条約の父」と呼ばれている。しかし議論の中で排他的経済水域という沿岸国による200海里の海域の資源を囲い込むことを許す制度が合意される結果となった。「人類共同の財産」の概念とは矛盾した制度と解釈することもできる。即ち小島嶼国や途上国が広大な海洋資源を囲い込む結果となったのだ。ここにもマルクス、共産主義のイデオロギーが垣間見える。海洋法の研究者である山本草二教授は海洋法条約は「開発イデオロギー」と「天然資源イデオロギー」が入り込んでいる事を指摘している。即ち自決権を背景にした脱植民地化と新興国家・途上国の資源の囲い込みである。(引用文献要確認)

 

 

  1. 7搾取論(小泉信三著『共産主義批判の常識』)

 参照した講談社学術文庫には気賀健三氏が解説を寄せている。気賀によれば労働価値説批判は小泉が得意とした分野で、この「搾取」という言葉が「不知不識のあいだにマルクス主義是認の空気を広げ、現資本主義を非難する感情を一般世人にゆるす誤りをおかしている…」ことを警告していることを取り上げている。

 さらに気賀はマルクス主義は科学的議論であると形容されるが実は不当な混乱を招き、論理的誤謬を含んでいると指摘する。これは「科学的社会主義」「科学的国家運営(行政)」を主張したシュタイン及びその仲間達のマルクス批判にも通じる。

 ここで「搾取」という倫理的非難の意味を込めた言葉、との記述があるが、英語のexploit(ドイツ語も同じ)は「搾取」の他に「活用」「開発」「開拓」という倫理的非難を含まない意味もある。そこでこの語源を調べると元はold frenchのesploitier, espleiterで意味はcarry out, perform, accomplishがあり、1838年に初めてuse selfishly の記録が、即ち倫理的非難を含む記述が確認されている。これは多分鉱山開発との関連であろう、とのこと。以上の情報はOnline Etymology Dictionaryを参照した。個人が運営しているサイトなので信憑性は疑問であるが、この件をこれ以上調べる時間がないので確認作業は課題としたい。

 

搾取論は次の7つの節から構成されている。

  • 搾取とは何ぞ
  • 労働貨幣の実験成績
  • 労働価値説の根拠
  • 労働費用と需要
  • 労働の価値と労働需要
  • 不用意なる搾取論議
  • 労働に対する賞、功に対する報 

 「搾取とは何ぞ」では労働者の労働価値と、それに対する賃金の支給とは不等価なる交換であり、労働者は与えるよりも少なく受けることで利潤がある、という説は厄介な難問題があり、「不用意にこの言葉を使わない方が無事」とまで小泉は言う。(p. 155−156)この点は「不用意なる搾取論議」という節を立てて、宣伝や扇動に利用する者を制止はしないが「厳密なる学術語としては恐らく通用不可能」(p. 170)と、明確に「搾取」と言う表現を否定している。そしてこれがこの文章を書いた目的である、とも書いている。

 「労働貨幣の実験成績」では商品価値と労働費用の関連を労働交換銀行の実験を紹介して議論している。生産者は生産にかかった費用と時間に対する証明券を銀行からもらいその券で銀行から自分の欲しい者を購入する。結果銀行は1年半で閉鎖となったが理由は欲しい商品が銀行にないこと、生産者が余計に労働時間を申請したことによる。ここで小泉が指摘しない問題がある。労働者は、または弱者は、もしくは途上国は常に「清く正しい」存在ではないことだ。また労働の意味や、お金の意味が「政治」の観点からマルクスは議論していない。お金の意味を議論しているのは例えばアマルティア・センの『自由と経済開発』があげられる。

「労働価値説の根拠」では製品の値段が需要供給の関係で決まることが説明され、生産費用は「供給の調整者」として働くだけであり、労働価値説はその意味においてのみ成立すると小泉は主張する。(p. 160−161)

「労働費用と需要」では、さらにマルクスの説の矛盾を指摘している。すなわちマルクスは商品価値は労働量によって決まると言っておきながら、商品価値は需要供給の関係で決まり、労働量はその商品価格によって決まる、という論展開もしているのである。シュモラーがまともな学者は相手にしないと言った理由はここに見える。

「労働の価値と労働需要」ではマルクスの搾取論の矛盾をさらに追求する。搾取というのであれば、労働者の賃金は製品価値よりも低くなければならない。よって商品価格は常に労働賃金よりも上回っている必要があり、それをするには需要によって決まる商品価格と離れた価格法則が必要となってくる。(p. 167)しかし商品価値は需要によって決まるので、マルクスですら需要を超える商品があった場合労働量に相当するだけの価値は作れないと漏らしていることを指摘している。(p. 168)

 「不用意なる搾取論議」では、搾取という言葉を軽々しく使うことが再び指摘されているが、例として失業者、老人、病人などは労働をしないものが搾取されているとは言わないし、彼らを支援する責任があることを指摘する。また社会に貧しい人がいるのはお金持ちが搾取している結果だ、との知識人による資本主義批判も取り上げ「搾取」が不用意に使用されていることを指摘する。ここでマルクスは経済だけを語り政治を無視し、ホッブスは政治だけを語り経済を無視したとIstvan Hontが指摘しているのが思い起こされる。(後述するSiclovanの博士論文)。(p. 23)

 最後の「労働に対する償、功に対する報」では資本主義社会アメリカと社会主義のソ連の報酬格差がどちらも1対50で同じであることをあげ、格差は労働量の差ではなく「功」によって報いられることが説明されてる。そしてそれは搾取理論の根拠となった労働価値説とは正反対の議論であると指摘する。

<考察>

 「搾取論」に関しては色々と考えさせられる点が多い。労働とは何か?お金だけが労働の評価指標か?人間は何のために働くのか?と言った議論がマルクスにはないし、小泉もしていない事が気になった。

マルクスが無視した政治面からの「搾取」即ち労働価値を賃金以外で評価する「搾取」はどうであろうか?労働者(被雇用者)と雇用者、生産者と消費者、もしくは投資者と生産者の間で。例えば、一般的に労働者は雇用者よりも立場が弱い。これを労働組合や労働者を守る法律の整備などによって身分を守る行動が取られている。生産者と消費者はどうであろう?経済学に「レモン市場」という理論があるが、商品の情報格差から消費者はしばしば粗悪品を売りつけられる可能性がある。逆に消費者が商品を選ぶが、商品は消費者を選ばない。過大宣伝活動によって不要な消費を促進するケースもあるであろう。賃金以外で「搾取」もしくは不当なやり取りが行われているケースは多いであろう。

 開発論の中でも「搾取」という言葉は頻繁に出てくる。ただし小泉が指摘するようにその意味を本当に理解しているのであろうか?植民者が被植民者を搾取するとよく言われるが、被植民者が植民者を搾取、もしくは利用していることは議論されているであろうか?植民の歴史を知ればそのようなケースも多くある。被植民者が植民を促したり歓迎するケースもある。また、途上国が先進国から搾取されているというのが通常の議論だが、その逆は有りえないであろうか?

 ここで海洋資源、漁業資源をめぐる先進国と途上国である太平洋島嶼国の話を書いてみたい。

 遠洋漁業大国の日本は世界にその漁場を開拓し、途上国の漁業資源を「搾取」しているとしばしば批判される。まずその漁業資源は誰のものか?「人類共同の財産」である海洋資源は、新興国家の途上国のためにその経済的利用が優先されているに過ぎない。共同財産であるはずの広大な海洋から日本が締め出されるのは漁業資源の「開拓」からか「搾取」からか? 

 太平島嶼国に限って議論すれば、これらの島が広大な遠洋で漁業をした歴史はない。市場のないところに漁業産業は成り立たないからだ。即ち彼ら自身では自らの排他的経済水域では漁業ができないため、漁業権を日本始め漁業技術と市場を持っている漁船に販売しているのが現状である。この漁業権の価格が市場価格に比べ安いと、これは世銀が島嶼国にアドバイス(唆して)をしてOPEC (Organization of Petroleum Exporting Countries)ならぬOTEC(Organization of Tuna Exporting Countries)のような小島嶼国の連携強化を呼びかけ、漁業権の価格を一気に2倍、3倍と引き上げた。いったこの動きの中で、漁業権料を一気に釣り上げる島嶼国と先進国のどちらが「搾取」していると言えるだろうか?そもそも過去の経済活動とは関係なく「接続性」adjacencyという概念で資源を囲い込み、理論的根拠も明確でなく、あくまでマルクス主義イデオロギーの「搾取」と言う被害者意識を基盤に漁業権料釣り上げることは「人類共通の財産」を守ることに一切関係しない。科学的説明が成り立たないのだ。   

「搾取」しているのは漁業国の日本か、管轄権を持つだけで管理も開発もしない、もしくはできない太平洋島嶼国ではないか?

 EEZは沿岸国の領有権ではなく「管轄権」だけを国連海洋法条約で決められている範囲内で執行でいる。太平洋島嶼国の場合条約の合意事項も理解できておらず名前だけの「管轄権」とも言える。しかも遠洋の魚は高度回遊魚と言ってその200海里内に留まっているわけではない。それでも太平洋島嶼国は魚の権利を主張し、冷戦下国の数の力を最大限に活用しこの権利を勝ち取った。これらの動きはGreg Fryなどによって島嶼国の地域協力による勝利と評価されている。

 繰り返すが「権利」に伴うのが「義務」であるはずだが、途上国の小島嶼国はその義務を果たす能力がないばかりか、漁業規則を守らない台湾、中国などの漁船に便宜置籍船と称する自国の旗を貸すビジネスまで展開している実態がある。

 これらの活動を可能にするのは、まさに小泉が指摘する「搾取」という言葉の背景にある「不知不識のあいだにマルクス主義是認の空気を広げ、現資本主義を非難する感情を一般世人にゆるす誤りをおかしている…」という解釈、諫言すれば「漁業資源を搾取されてきた太平洋島嶼国が自分たちの権利を国際条約によって確保し、政治的独立ばかりでなく経済的独立を目指している」という一般人の共感を得ようとする誤った認識ではないか。

 「厳密なる学術語としては恐らく通用不可能」な「搾取」という概念に関連して「植民」という概念も「不知不識のあいだにマルクス主義是認の空気を広げ」る中で資本主義を非難する感情とともに一般世人に受け入れられている、のではないか。その流れの一つが国連決議になった植民地独立付与宣言(1960年、決議1514(XV))である。搾取からの解放、即ち植民からの解放を「自決権」というイデオロギーが国際法の法源として構築されているのだ。(最近のチャゴス諸島判決も自決権が判決の主要テーマであった。)「自決権」に関しては博士論文の理論枠組みとして読んできた資料を列挙し、次の「6階級と民族 — 歴史的叙述—」で議論したい。

 

  1. 6階級と民族 — 歴史的叙述—(小泉信三著『共産主義批判の常識』)

 まず序文の小泉自身による解説から引用する。この論文というより歴史的叙述は昭和22年に「世界」に発表された。1848年を起点にヨーロッパの「民主主義」と「民族主義」の同流、逆流、交錯を叙述したもので、マルクスの民族主義はスラブ・ドイツ問題を理解しなければならないが日本では全くといって良いほど研究がない。続いて気賀の解説ではマルクス主義の階級的社会観と現実の民族問題が矛盾している事、また『共産主義批判の常識』の中でこの章だけが異質で他の章はマルクスの経済論と革命論への批判である事、そしてマルクスはドイツ民族の優秀性を信じていた事が挙げられている。皮肉なのはマルクスが蔑視していたスラブ民族がドイツ人を征服したが、逆にマルクス主義がスラブ人のロシアを支配した事も挙げている。

 マルクスの階級闘争史観は無国籍で非民族性を支持しているが、現実はドイツ国籍でユダヤ人であることからマルクスは離れられなかった。即ちヨーロッパの国家間、民族間の対立と連合の理論と現実の矛盾をマルクス自身が体現していた、という。

 「階級と民族」は以下の12の節から構成されている。

  • 階級と民族
  • 1848年
  • 民主主義と民族主義の交錯
  • バクウニンの活動
  • スラブ民族
  • マルクスとスラブ民族
  • バクウニンの再出現
  • マルクスとデンマアク人
  • マルクスとイタリア統一
  • マルクスと民族主義

 東ヨーロッパの過去1000年の歴史はドイツ人とスラブ人が土地と支配を争った歴史であった、という。「スラブ」Slavという言葉は「奴隷」のSlaveの語源である。

 ミカエル・バクウニン(ロシア人、無政府主義者)の調査ではヨーロッパ、トルコの1200万人の人口のうちトルコ人は100万、スラブ人は400万人を占める。ハンガリーは1600万人の内マギャアル人が400万、スラブ人が800万人でここでも多数を占めている。

 マルクスはスラブ民族に対して軽蔑憎悪し、反文明的、反革命的民族とみなしていた。バクウニンもドイツ人を嫌い「ドイツ人をやっつけろ」がスラブ人の共通語である、と言っていたこともある。

 1848年のドイツ、イタリアでの革命と、ハンガリーのそれは多く違った。ハンガリーは国内に多くのスラブ人を抱えていたからだ。即ちハンガリーのマギャアル人はオーストリアからの独立を願っていたが、ハンガリー国内では多くのスラブ人がマギャアル人からの独立を願い、さらにオーストリアがマギャアルを抑圧することを支持した。ここに民族主義、民主主義の分流と逆行があると小泉は指摘する(123−124頁)他方同じハンガリーにいるスラブ人はトルコの圧政下にあり、ロシア帝国の干渉を望んでいる。さらに同じスラブ人でもロシア帝国と敵対するポオランド人もいる。これが1848年にバクウニンが認識したスラブ民族解放問題の所在である。すなわちスラブ人は各国に分散しているし、そのスラブ人同士も敵対しているケースもある。

 バクウニンはロシア人革命家であったが、ロシアはヨーロッパ大陸で革命が波及しない唯一の国であった。ドイツ国民議会に習って全スラブ民族大会が開催されるが、そこに参加したバクウニンは汎スラブ主義を訴えるようになる。(126頁)

 バクウニンの汎スラブ主義には民族自決権のイデオロギーが見える。「いわゆる歴史的、地理的、商業的及び戦略的必要に従い、専制君主の会議によって高圧的に設定せられた人為的制限」を排し「自然に従い、諸民族の自主的意思そのものがその民族的特性に基づいて示すところの、デモクラシイの精神において、正義によって引かれたる境界線」以外のいかなるものも持ってはならぬ、と。「専制君主の会議」の部分を「植民者の会議」に置き換えるとそのまま植民地独立付与宣言になりそうである。(130頁)

 1848年時点のこのバクウニンの主張は孤独の声であったという。マルクス・エンゲルスは支援するどころかスラブ人には歴史、地理的、政治的、工業的条件がなくスラブ人が独立を失うのは当たり前で「畸形無力の小民族達」とさえも形容していた。マルクスは1848年の革命の動きの中で、フランス、ドイツ、イタリア、ポオランド、マギャアル人が革命の旗を打ち立てたのに対しスラブ人のみが反革命の旗の下に集まった、と憤慨していた。(134−135頁)同時に汎スラブ主義を利用しようとする帝国ロシアの匂いをマルクス・エンゲルスは感じてもいた。(136頁) スラブ人はそのようなドイツに自由よりもロシアの鞭を与えよと叫んでいたのだ。(140頁)

 

f:id:yashinominews:20200428190736j:plain

 「マルクスとデンマアク人」の節はローレンツ・フォン・シュタインの生い立ちを知れば興味深く、小泉の記述が物足りなく感じるであろう。デンマークの支配下にあったシュレスビック・ホルンシュタインこそシュタインが生まれた育った地であり、この独立の動きをシュタインは支持したためキール大学の職を失う結果となった。シュタインはドイツ人の女性とシュレスビック・ホルンシュタインに赴いていたデンマーク軍人の私生児である。しかし優秀な彼はデンマーク国王から何度か奨学金を得て学者の道を切り開いたのである。マルクスに共産主義・社会主義を紹介したのもシュタインである。マルクスはデンマークを蔑視しドイツ人優越説を主張したがシュタインはどのように受け取ったであろう?

 「マルクスとイタリア」では、イタリアの独立を支持しながらも、フランスのナポレオン3世の支えるイタリアが独立することはドイツへの脅威につながるので、オーストリア・ハンガリー帝国によるイタリア支配の維持を支持したのだ。すなわちマルクスにとって重要なのは飽くまでドイツであってそれを犠牲にするような他国の独立は反対であった。しかし結果はマルクスの共産主義のイデオロギーがイタリアに独立をもたらした。

 最後の節で小泉は小民族の自存欲求が即ち民族自決権は大民族の革命、民主主義の前にどこまで尊重されるべきか、と疑問を呈している。1919年のパリ平和会議で米国のウィルソンが民族自決権を主張し、本人はそのつもりはなかったが多くの小国が誕生する結果となった。また1960年の植民地独立付与宣言で世界中に小国が誕生する結果となっている。現在500万人以下の小国数は約200カ国ある世界の国家の半分を占める。しかしその100カ国の人口は世界の2%にも満たないのである。(別添グラフ参照)

 

  1. マルクスと自決権の議論

 

 ここで自決権を自分の博士論文でどのように議論するか整理してみたい。太平洋島嶼国と海洋法にかんする博士論文で自決権の議論を理論枠組みに選んだのは、「なぜ小島嶼国が存在するのか?」という一見素朴な疑問である。この疑問は一つ目の博士論文執筆中も頭に浮かび関連の資料を何点か読んだ。その中でもカーの『平和の条件』にある自決権の限界の議論と、カセーゼの”Self-Determination of Peoples”にある自決権の政治的概念から国際法規範への展開の説明の困難性について議論されていることが印象に残った。海洋に隔絶された島が主権国家となった背景にはこの「自決権」という国際合意がすなわち法源がある。

 今まで読んできた主要文献は以下の通りである。これらの議論をいかに再構築して太平洋島嶼国のケースに応用させて行くかはこれからの検討課題だ。その中でも丸山敬一の「自決権の意義と限界」の議論はマルクスを扱っていたので、実際にマルクスがどのように主張していたか今回の発表で勉強する機会を得た。阿川教授には重ねて感謝します。丸山はマルクスもレーニンもルクセンブルグも誰も小国の独立を支持していなかった事を議論されている。ただ共産党が主張していただけなのである。丸山論文にはマルクスのスラブ民族蔑視の事が書かれており、小泉の論文を読む事でことの詳細を知る事ができた。

 マルクスが生きていれば世界に200近い主権国家ができたことに驚くであろう。その半分が人口500万人以下の小国でその中の絶海の孤島、小島嶼国が国家として独立できるわけがない、と言うであろう。皮肉なことに「高貴な野蛮人」としてブーガンヴィルなどに紹介された太平洋の島の人々こそルソーに私有財産のない原始社会、自由人を想像させたのだ。実際の太平洋の島の人々の生活は規則(英語のTabuはポリネシア語)に縛られ、財産は厳格に指導者によって管理されている。

 

 

<自決権に関する文献>

 

Cassese, Antonio  国際法

"Self-determination of peoples : a legal reappraisal". 1995. 

 自決権を批判的に議論。第一章はself-determinationの歴史的背景をまとめ、フランス革命から始まって、レーニン、ウィルソンのself-determinationが紹介。フランス革命のself-determinationてのは隣国のアヴィニョンやベルギーを奪い取る事だったし、レーニンのself-determinationは政治的イデオロギーで、社会主義へのリップサービス。民族の自決ではなくレーニンが考えていたのはブルジョアを排除したプロレタリアートの連携と台頭。

 ウィルソンのself-determinationは民主主義の事で、米国内の黒人問題や米国の植民地(グアムとかフィリッピン、ハワイ、プエルトリコ)の自立など毛頭も考えていなかった。 ウィルソン自らベルサイユ会議でself-determinationを唱えた事を深く反省しているし、ランシングはもう頭を抱えているような状態だった。

 

松井芳郎 国際法

自決権を前向きに議論。しかし2010年時点では留保している。

ソビエト国際法』の終焉」名古屋大学法政論集/ 名古屋大学大学院法学研究科、157号 p21~65

松井芳郎、『現在の国際関係と自決権』1981年、新日本出版社

松井芳郎, 薬師寺公夫, 徳川信治 他「松井芳郎教授 オーラルヒストリー」、立命館法学2010 年5・6 号(333・334号)

http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/law/lex/10-56/matsui.pdf

松井芳郎「天然の富と資源に対する永久的主権(一)(二)」『法学論叢』79 巻3 号(1966)35–71 頁及び同4 号(1966)45–68 頁

 

E.H. Carr. 国際政治

“Condition of Peace”  1942

小国の自決権の限界を議論。これに対抗するのが戦後のバンドン会議につながる重光の大東亜共同宣言ではないか。ここは波多野澄雄の研究がある。

 

丸山敬一  政治学

 『民族自決の意義と限界』(2003, 有信堂高文社)

マルクス主義民族自決権』(1992,信山社

マルクスエンゲルス、レーニン、スターリンルクセンブルク、レンナー、バウアーの誰も、マルクス主義者が主張する次の2点を主張していない事を明らかにして行く。

1.マルクスエンゲルス、レーニン、スターリンと一貫して民族自決の主張があった。

2.民族自決権さえ認めれば民族問題は解決する。

 

 

<委任統治、信託統治、自由連合、英連邦関連>小国の限界を意識した自決権の一つの形

 

立作太郎「南洋委任統治問題」(国際連盟協会発行、昭和8年3月)

 

等松春夫著、『日本帝国と委任統治 南洋群島をめぐる国際政治1914-1946』(名古屋大学出版会、2011年)

 

矢内原忠雄「南洋委任統治論」矢内原全集第5巻論文集(下)(岩波書房、1963年)128ー146頁

(オリジナル:中央公論546号、1933年6月)

 

蝋山政道「南洋委任統治問題の帰趨」(改造、5月号、1933年)

 

五十嵐正博 『提携国家の研究』 国際法

1514号については直接の研究対象では無いので深い議論はされていないが自決権が「人民の意思の優位さを明確にした点で評価されるべきである。」(同書48頁)と批判的議論はされていない。

 

五十嵐元道 国際政治

「国際信託統治の歴史的起源(1)帝国から国際組織へ」『北大法学論集』 59(6), (2009年)3185-3216頁

「国際信託統治の歴史的起源(2)帝国から国際組織へ」『北大法学論集』60(1), (2009年)111-144,頁

「国際信託統治の歴史的起源(3)帝国から国際組織へ」『北大法学論集』 60(2), (2009年)531-563頁

国際信託統治、植民統治の比較が忌避され、その正当性は学問上の問題ではない事が指摘されている。

 

Alessandro Iandolo 国際政治

Beyond the Shoe: Rethinking Khrushchev at the Fifteenth Session of the United Nations General Assembly, Diplomatic History, Volume 41, Issue 1, 1 January 2017, Pages 128–154, https://doi.org/10.1093/dh/dhw010

「独立付与宣言」につながったフルシチョフの靴事件を扱った論文。この論文はフルシチョフに焦点が当てられ、自決権とは何か、などは議論されていない。しかし、まさに松井先生が「独立付与宣言は十分できてないのが穴なんです。」と言われた「穴」の一部、それも重要な一部が議論されているように思う。簡単にまとめると、フルシチョフの靴で有名になった第15回国連総会は靴の話のbeyondが見過ごされてきた、というのだ。即ち誰も研究して来なかった、ということであろう。Iandolo博士はこの靴(実際には靴は持っていない)事件の前後のコンゴ問題と米ソの緊張、数の上で優位に立つ途上国、そこに反植民地で共鳴する社会主義ブロックの国際関係を紐解きながら、失敗に終わったとい言われているフルシチョフ国連事務総長ハマーショルド)叩きが、1955年のバンドン会議以来のアジアアフリカ諸国の脱植民地化を国連決議として正当化していった話が分析されている。