やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

ダブ・ローネン『自決権とは何か』ナショナリズムからエスニック紛争へ

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Dov Ronenの写真を探したが見つからない。これは自伝のようだ。自決権の恐ろしさを身を持って体験してきたのであろう。


 自決権の歴史的、理論的議論を、カッセーゼ、カー、松井、丸山の議論でまとめようと思っているのだが、図書館で偶然見つけた『自決権とは何か』に自決権の流れをまとめたわかりやすい表があった。著者のダブ・ローネンはホロコーストを生き残ってイスラエルで暮らし、米国に移住。自決権に対する強固な意見、すなわち自決権はかならずしも国家の独立とは限らない、というカッセーゼに近い議論をしている、と思われる。

 日本語訳の本には日本語版への序文という15頁の文書が付されていてそれ自体が一つの論文のような内容である。

 1776年のアメリカ革命、1789年のフランス革命が自決権追求の上で、世界史上重要な転機であること。そしてこのような自決の追求を理解するには法律上の用法、意味、定義を超えなければならない、と主張している。この2つ目の主張はカッセーゼの法律を超え、歴史的な政治を議論する必要があるということと共通する。

 2つの革命が押し広げたのは「人は生まれながらにして自由である」という考えであり、これが「人は自由であるべきある」と訳され、多くの大衆に政治意識を植え付け、16世紀以来確立した現代国家統治への大衆参加を制度化した。アメリカ革命とフランス革命は「人は自らを律する権利 right」を有するという思想と原理を普遍化する要因となった。すなわち自決権である。

 この権利の意識が高まったのが1848年革命、民族主義者革命、イタリアの統一、ボルシェビキ革命、欧州東南部の小国分割、アジア・アフリカの非植民地化、婦人解放運動、ストライキ、学生デモ、と展開しているとローネンは書く。すなわち私たちは未だにアメリカ革命とフランス革命の中に生きているのだ、と。

 ここでローネンは自決権に疑問を投げかける。南アフリカの黒人解放運動、パレスチナ人の要求は、人間の自決権とは関係のない欲求、すなわち破壊、指導者への服従・非服従の欲求、「もっと所有したい」という欲求、が建設的な響きを持った自決権の追求という大義名分の下にある、というのだ。この疑問こそが私が長年島嶼国に抱いてきたことだ。より正確に言えば私自身も島嶼国の自決権をこれと言った根拠もなく支持してきた。しかしそれはまさに「もっと所有したい」という欲求にとどまりその後が見えないのだ。

 ローネンにとって自決とは政治的スローガンではない、人間の可能性、必要性、希求性を示す表現であり、それは「・・・からの自由」である、とのこと。このあたりの議論はアマルティア・センの潜在能力の議論と同じではないだろうか?そしてローネンは自決とは自治であると。Self-determination = self-rule であると主張する。

 つまり自決権=独立じゃないというのがローネン教授の意見だ。そこでなぜ自決権=独立と考えてしまうのか、要因を2つあげている。一つ目は非植民地化と自決権が繋がったことだ。非植民地化は独立を意味する。(実際は自由連合もあるし、統合という道もある)。2つ目は全面に広がる国家への志向性。自決権の「自」は国家を意味する結果となっている。すなわち国家の主権的要素が人権、自由企業、個人の活動を管理し、規制している。

 自決と国家が一致しているのである。私たちの心の中で「国家の自決」「国家の主権」「国家の優越」が一体化している。(これは太平洋島嶼国に特に強い)ローネンはそのことを否定しないが、パレスチナの例を出して自決と独立国家たることの2つの概念は切り離されるべき正当な理由があると主張する。

 ここでローエンはイスラエル・パレスチナ問題を議論しているが要は独立国家にとらわれない、自決権、自治の権利の交渉へと歩みを進めることを提案している。ここも私の太平洋島嶼国に対する考えと同じだ。自決権=主権国家と認識されているが、何のための自決権なのかが全く議論されていないのだ。

 続いてローエンは自決権の「自」は個人なのか集団なのかを議論している。さらに日本の特徴として行動規範が共通であること。愛国心を掻き立てる必要がないことなども述べている。

とここまでが日本語版への序文なのだが、かなり濃い内容だ。

引き続きオリジナルの序文をまとめたい。

 

アマゾンの著者略歴から

Dov Ronen was born in Hungary, survived the Holocaust there, and migrated to Israel, where he studied and taught at the Hebrew University, Jerusalem. He has been affiliated with Harvard University for the last thirty-two years, nineteen of them at its [Weatherhead] Center for International Affairs. He is now Lecturer on Psychology in the Department of Psychiatry at the Harvard Medical School.