<Felix Cohen,1951>
5つ目はCohen, Felix S., "Book Review: e Open Society and Its Enemies" (1951). Faculty Scholarship Series. 4365.
http://digitalcommons.law.yale.edu/fss_papers/4365
資料を精査する際は必ず筆者が何者かを調べる。前者の4つの評を書いた人物はある意味、素人である。その書評は手慰みに読むレベルのように思う、がこのFelix Cohenはその人物にまずは大きな興味を抱いてしまった。
Cohen氏、米国の法曹界を主導してきた人物なのだ。具体的にはLegal Realism、Legal Prulaism という概念を1930年代に紹介した。(誰が最初かという議論は色々ありそうだ)。法学の世界からルーズベルトのニューディール政策では公務員として現場に関わることになる。さらにアメリカンインディアンの権益を守る法律を作る。
しかし彼は46歳(1907 – 1953)の若さでこの世を去っている。事故か、病気か。。奥さんは(1907−2007)100歳と長寿を全う。
さて、ポパーの書評の方だが、1945年に「開かれた社会」が出版されてから6年後の1951年の書評だ。なぜ1951年なのか背景が気になる。冷戦下で米国は全体主義の道を進んでいることを指摘。すなわちポッパーを鼻から批判している。ポパーがプラトン、ヘーゲル、マルクスを批判というより嫌悪(loathing)していることを、Cohenは批判し、先人の哲学が未来の世代に影響を与えることは避けられないと主張。
Cohenのポッパー批判の肝は下記の部分のように思う。
"It reminds us that we can make our own future, and that in the process of building a better society we can pursue the methods of science if our hypotheses are specific enough to allow pragmatic tests. It shows how much easier it is to shape pragmatic tests to the elimination of specific social evils than to the creation of Utopias. It reminds us that in the struggle to preserve and extend the moral values of the Open Society none of us can escape a moral responsibility for the consequences of our action or inaction."
要は、ポパーの開かれた社会は「絵に描いた餅」でしかなく、道徳的責任を果たすために行動できるかどうか、という主張ではないか。Cohenはポパーと違って学界に留まらず政府で働き、インディアン保護の法案を作った実務家である。コーエンはポパーより5つ若い。哲学の大家ポパーを批判することは容易ではなかったのでは?と想像する。それでも敢えてオブラートに包むようにしながら批判した背景には何があるのか?
二人ともユダヤである。
このCohenに関する論文も読みたい。どのような背景でポパーの開かれた社会を批判したのか理解できるかもしれない。しかしエンドレスなので記録だけしておきます。誰か読んだら感想聞かせてください。
Kevin K. Washburn, Felix Cohen, Anti-Semitism and American Indian Law (review of Dalia Tsuk Mitchell, Architect of Justice: Felix S. Cohen and the Founding of American Legal Pluralism), 33 Am. Indian L. Rev. 583 (2009),h ps://digitalcommons.law.ou.edu/ailr/vol33/iss2/7