やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

東北紀行(盛岡篇2)sponsored by 吉野作造

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 新渡戸を訪ねた盛岡。写真でご紹介します。

 盛岡駅の前には拓殖大学にもある台湾の許文龍が寄贈した新渡戸の銅像がある。盛岡にもラグビーW杯がやってくる。

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 新渡戸誕生の地の下の橋。この欄干は新渡戸がいた頃と同じであろうか?少年稲造は北上川を流れが太平洋につながり、その先に米国、カナダとも繋がっている事を知っていたであろうか?と感傷に浸る。。

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 盛岡城の新渡戸記念碑は背が低いので初めて行く人は見つけづらい。私は盛岡城で迷子になってしまった。啄木歌碑はすぐ見つかる。その隣が新渡戸です。

 ウィキには1868年9月24日 盛岡藩、新政府軍に全面降伏とある。稲造の親戚か近い人も打ち首になった事が書かれていた。新渡戸は植民される側の悲哀を知っていたのだ。

 盛岡城からは雄大な山脈が。稲造も見ていた風景だ。

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