1936年満州で生まれ、1999年ウィーンでその生涯を閉じた
拙著『インド太平洋開拓史』では紙幅を理由に「南進」を定義することもなく「サムライの南進」という項目で田口卯吉の天佑丸の南洋航海の話を書いた。 矢野暢著『「南進」の系譜』は読んでおきたかったが昨日読んで、「読まなくてもよかった」と思うような内容だった。
矢野暢氏は昭和54年(1979年)にこの南進論の続編として『日本の南洋史観』を出されていた。期待せずに読んだら、釘付けになってしまった。「まえがき」にあるが文部省特定研究「東アジアおよび東南アジア地域における文化摩擦の研究」としてチームで膨大な資料を読み込んだ作品である。前著はエッセイレベルだがこちらは書き方を変えれば学術書である。
何よりも目ん玉が飛び出したまま読み進めたのが一章の「七人の「南進論」者」と題するサムライ七人の話だ。その一人はもちろん、私が取り上げた田口卯吉。私の発案か?と思っていたが矢野先生が40年も前に発案されていた。嗚呼!嬉しさと悔しの入り混じったお腹がゾワゾワする感情。
同書は6章とプロローグ、エピローグから構成されている。イデオロギー的には植民=悪、南進=悪 で語られており、権威、正統性に偏った認識を持っていそうな(と言いつつ文化相対主義は抑えている)著者の偏見が気になる箇所が多々あるが、重要な文献はほぼ抑えているのだろう。
矢野教授は京都大学の東南アジア地域研究研究所に1972年から1993年まで在籍。私がアジア主義の資料を探しているとき何点かがここにあって訪ねたことがある。
矢野が所長になった1990年以降にセクハラ事件で訴えられ辞職する。ウィキには「矢野は大学から実質的に追放され、研究者としての道も完全に絶たれた。」とある。もしかしてこの「南進」の研究も絶たれたのではないだろうか?優秀な研究者が品行方正とは限らない。
もったいないので『日本の南洋史観』に関していくつか読書メモを残したい。
<蛇足>
これもウィキからだが興味深い。メディア寵児でもあったようだ。もしかしてバブルが彼の精神を狂わせたのでは?え?単なる自己中の色情?
研究室の秘書たちには毎朝以下の「五訓」唱和させていた(小野和子(1998)『京大・矢野事件』インパクト出版会、p.232.)。
- 矢野先生は世界の宝、日本の柱です。誇りをもって日々の仕事に励みましょう。
- 矢野先生が心安らかにご研究とお仕事に専念できるよう、私たちは自分の持てるすべてを捧げてお尽くしいたしましょう。
- この研究室は日本じゅう、世界じゅうの注目の的、私たちはすきのない仕事を通じて、この研究室の名誉と権威を守りましょう。
- 矢野先生のお仕事は、大学の皆様の心に支えられています。職場の人びとには礼儀正しく接しましょう。
- それぞれ健康に留意し、身辺をきれいに保ち、勤務に支障がないよう心掛けましょう。