『インド太平洋開拓史』では「南進」を「サムライの南進」「漁師の南進」という切り口でまとめてみた。どうも戦争の南進ばかりが取り上げあげられ、それ以前の「南進」がほとんど無視されているような気がしたからだ。
維新で職を失ったサムライたちが何百万人と日本にいたのだ。彼らには「学術」と「美術」と「武術」と「倫理」すなわち「武士道」があったのだと思う。職を失っても、貪欲に学門をつづけ、田畑を耕し、慣れない商売に手を出し、苦汁を超えて、国策を訴え、世界に飛び出して行ったのだ。(まるで私みたい)
幕臣側の田口卯吉、鈴木経勲、そして植民政策にそんなに関与していたとは知らなかった榎本武揚(ハーグで海洋法も学んでいた)に関して本当はもっと文献を読み込んでから書きたかったが、全てを把握して書くのは不可能だし、そこは諦めた。
福岡の玄洋社のメンバーも同じであろう。苦境が人間を、歴史を作るのかもしれない。
南進を語る時このサムライたちの人生を追って行くことも重要だと思っている。
田口卯吉に関しては本も何冊かあり、小論はきっと山ほどありそうで、50本位読めば人間像が浮かんでくるかもしれない。卯吉の本も書かれている田口親氏の下記の小論はウェブでアクセスでき、読んだばかりだ。
田口親 館蔵 『南洋巡航日誌』 のことども 早稲田大学図書館紀要,18,93-105 (1977-03-20)
今回本を書く中で新たに出会ったのが国際海洋法の本を命より大事にした榎本武揚だ。きっと多くの先行研究があるはず。彼はオランダの植民政策やその実態を知っていたのだ。だから南進政策を考えたのだ。
学べば学ぶほど、知れば知るほど、目の前の壁は高く厚くなっていく。。