吉川 尚徳 中国の南太平洋島嶼諸国に対する関与の動向. ― その戦略的影響と対応 ―. 海幹校戦略研究 2011 年 5 月(1-1).
https://www.mod.go.jp/msdf/navcol/SSG/review/1-1/1-1-3.pdf
防衛省が太平洋島嶼国をどのようにどれだけ認識しているのか?
2011年に中国の同地域への脅威をまとめた論文があった。吉川尚徳氏によるものだ。これを読んでいてロバート・カプランの論文が当時話題になったことを思い出した。今読むとかなり甘い見解だが、当時はそんなものだったのだ。中国の脅威などと言ったら笑われるような環境であった。そんな中私はミクロネシア海上保安事業を立ち上げたのだ。あの頃は豪州にとっての脅威は中国ではなく日本だった。だから私はキャンベラ通いをして、当時の反日親中ラッド政権との交渉を粘り強く進めたのだ。
防衛省の太平洋島嶼国関連の論文は少ない。
最近見つけてゾッとしたのがこの庄司潤一郎氏の論文だ。
http://www.nids.mod.go.jp/publication/commentary/pdf/commentary113.pdf
「現在、豪州の専門家の間で、「ナンヨーコーハツ」 (南洋興発=南洋興発株式会社)が関心を呼んでい るという。中国の南太平洋諸国への進出が「75 年 前の日本の亡霊」として認識されるなかで、日本の 南進の担い手となっていた南洋興発が注目を浴び ているのである。」という文章で始まる。
南洋庁時代の民政が主体の時期と初期の軍政、連盟脱退後の軍事色が強まった時期がごっちゃ混ぜに論じられているのだ。まさ重光の極秘文書を知らないで書いているのだろうか?まさか矢内原の南洋群島研究を知らないで書いているのだろうか?
参考文献には見当たらない。
南洋興発始め、日本の民間企業が軍事目的を優先して南進したことはない!逆にそのような疑惑を持たれないよう当時の軍部も政府も、拓殖局も苦労し、努力したのである。広大な太平洋の島々を結んで、しかも英領ギルバート諸島や豪州領のラバウルまで航路を結んで経済開発を進めたのだ。それをおじゃんにしたのが軍部と蠟山政道などの一部の学者である。
せめて、矢内原忠雄の『南洋群島の研究』は防衛省の研究者、担当者には読んで欲しい。
1930年代の矢内原。矢内原が特に評価したのが南洋節と呼ばれた鰹節。内地の鰹産業を圧迫するほど栄えた。
矢内原が書いているように、日本の南洋統治はドイツの植民政策を継承したものだった。ドイツは科学調査船をこの地域に派遣しており、日本もそれに続いた。下記の本はまだ読んでいないが日本には相当な科学的知識、情報もあったのだ。今西錦司編の『ポナペ島』もその一つ。
あとがきたちよみ/『〈島〉の科学者 パラオ熱帯生物研究所と帝国日本の南洋研究』 - けいそうビブリオフィル
「したがって、現地への定期航路の整備は急務だったが、翌一五年、先述した南洋貿易が内地とミクロネシアを結ぶ航路の開設を海軍省から受命した(今泉 一九九〇:一二)。南洋貿易は汽船三隻をチャーターし、横浜─横須賀─サイパン─トラック航路(内地─南洋間)のほか、トラック─クサイエ─ギルバート(イギリス領)─ヤルート間、トラック─ヤップ─パラオ─アンガウル─メナド(オランダ領)間を結んだが、一九一七年、内地─南洋間航路から撤退する。」上記の本より。
南洋興発株式会社はキリバス始め海外領にも事務所を持っていた。
<外領事業所>
大宮(グアム)事業所(製油)
海南島事業所(農産)
旺洋島(オーシャン)事業所(燐礦)
スンダ事業所(棉花)
ジャワ事業所(製糖,製麻)
ギルバート事業所
アンボン事業所(造船,農産)
メナード事業所(コプラ,棉作)
マカッサル事業所(コプラ,ゴム,米作)
チモール事業所(コプラ,農産)
ラバウル事業所(コプラ,製材)
マノクワリ事業所(製材,造船)
東部ニューギニア事業所
マニラ事業所(製糖,酒精,製油)
高木茂樹、研究ノート 南洋興発の財政状況と松江春次の南進論、アジア経済 2008-11
https://core.ac.uk/download/pdf/288459699.pdf
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