やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

ミクロネシア(1)渡辺昭夫先生と私が作った太平洋の歴史

「いささか気がかりなニュースですね」

太平洋諸島フォーラムからミクロネシア5カ国(パラオ、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島、キリバス、ナウル)が離脱するニュースを発信したところ、恩師渡辺昭夫先生から反応があった。思わず、

「お忘れかもしれませんが、22年前の1999年、先生のご指導を仰ぎながらミクロネシア地域協力枠組み政策を策定。その結果です。私たち(失礼は承知で)ミクロネシアの、太平洋の歴史を作ったのです!」

その後渡辺先生から反応はない。私の頭がおかしくなったと思われているかもしれない。

しかし事実である。

1997年の第一回島サミットの目玉事業USPNetアップグレードを5、6年かけてODAにしたのは私である。その中で痛感したのが南太平洋大学メンバー国ではないミクロネシアの国々だ。(マーシャル諸島は1995年頃USPに参加)米国式と英国式に別れる太平洋南北違い、絶対相容れない教育などの社会制度、そして価値観の違いという大きな壁を現場で経験してきた。

渡辺先生にご指導いただいた2つ目の修士論文は「日米協力による太平洋島嶼国のための衛星通信政策」であった。米国、南太平洋大学の衛星通信ネットワークの歴史と、課題を整理しつつ、ミクロネシアの教育福祉を目的とした通信改革の提言も入れた。

これを根拠にさらに渡辺先生のご指導を得てミクロネシア地域協力支援政策を策定したのだ。ちょうどミクロネシア諸国も動き出した。

 

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今は亡き田淵節也氏とナカムラ大統領。1999年パラオにて

 

1999年、パラオで太平諸島フォーラム総会(当時は南太平洋フォーラム South Pacific Forum) が開催された時、私は故三塚博衆議院議員、故田淵節也野村證券元会長をお連れし、パラオにいた。フォーラム総会の日程に重なったのは本当に偶然だった。実は私の手術が入って当初の予定が変更し、その日程になってしまったのだ。

この時のフォーラム議長が主催国パラオのナカムラ初代大統領。ナカムラ大統領こそがSouth Pacific ForumからSouthを取り、豪NZへの不満を示し、行動に移した人物である。

 

(ミクロネシアの地域枠組みを作ってきた話長くなるので800字前後にまとめシリーズで書きます。)