やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

ミクロネシア(2)ヘレン/ジョンと戦ったクニオ・ナカムラ

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写真左は1999年のPIF総会中に三塚博議員始め日本からのゲストと乾杯するパラオのナカムラ大統領

「South Pacific Forum からSouth を取るのは大変だった。本当にあの女と男は頑固だよ。」

私がキョトンとしているとナカムラ大統領は苦笑いしながら続けた。

「ヘレンとジョンだよ。」

ナカムラ大統領がSouth Pacific Forum からPacific Islands Forumに名称を変えた第30回総会にはニュージーランドのヘレン・クラーク首相とオーストラリアのジョン・ハワード首相が参加していたはずだ。記録を確認しようと思ったが見つからない。しかし議事録にはきちんと組織の名称変更の記録が残っている。

 

New Name

5. Leaders agreed on a new name for the Forum. The Forum is to be called “Pacific Islands Forum” following a one year transition period to allow time for the necessary administrative changes associated with the change.

THIRTIETH SOUTH PACIFIC FORUM Koror, Republic of Palau 3 – 5 October 1999

FORUM COMMUNIQUÉ

http://www.forumsec.org/wp-content/uploads/2017/11/1999-Communiqué-Koror-3-5-Oct.pdf

 

太平洋諸島フォーラムの設立の背景は多くの人が復唱しているが、日本語では少ないのでここに書いておこう。

1947年、戦後連合国は、太平洋の島々を管理するためのSouth Pacific Commission 南太平洋委員会を設立。日本軍を迎え撃つ米軍後方支援基地だった建物で、南太平洋のペンタゴンと呼ばれたニューカレドニアのヌーメアの施設がSouth Pacific Commission事務局となった。設立メンバーは米国、フランス、オランダ、英国、豪州、ニュージーランド。

1960年代サモアを皮切りに独立した島嶼国の声はこの旧連合軍、宗主国のグループには聞き入れてもらえなかった。これに異を唱え1971年フィジーの初代首相カミセセ・マラ閣下の主導で設立したのがSouth Pacific Forum だ。ここに旧宗主国の豪州とニュージーランドをメンバーに入れるかどうか、マラ閣下は相当悩んだという。

South Pacific CommissionもPIFから遅れること17年、Southを取った。2016年にPacific Community、太平洋共同体となった。Secretariateを頭につけて名称を変更しても略称のSPCは変わらず。

太平洋島嶼国の地域機関から"South"が取れた背景には冷戦の終結がある。戦後米国の信託統治領であったミクロネシアの独立は遅い。パラオが1994年。マーシャル諸島とミクロネシア連邦は1986年。北太平洋は米国にとって戦略的拠点であったのだ。PIFメンバーではない、北太平洋にある米領ミクロネシアのマリアナ諸島、グアムも正式メンバーとなっている。

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From Wiki

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Formation of the South Pacific Forum (Original members were Australia, Cook Islands, Fiji, Nauru, New Zealand, Tonga and Western Samoa)  from PIF Website