1926年には「ファシズムと共産主義の新たな総合をインドは実現する」べきであると主張
平間洋一先生の本で引用されていた 『東南アジアの解放と日本の遺産』(ジョイス・C・レブラ著 秀英書房 1981年)。絶版になっていた同書を2016年購入。その内容は強く記憶に残っていた。本棚のどこかにあるはずだったがしばらく見つからず、先日偶然出てきた。
ここ最近のミャンマー軍部の横暴と日本の無責任な支援。さらに戦争が始まって軍部の侵略戦争に抗議した信夫清三郎著『ラッフルズ伝』をここ数ヶ月、1日平均5ページという「超遅読」で読み進めていることなどから、『東南アジアの解放と日本の遺産』を再読したかった。
矢内原が指摘するように先の戦争は本質的には日英戦争であり、日本は英国の植民政策を倣って台湾統治したにも拘らず、その事を知ろうともせずにアジア諸国の独立を、そして反英感情を刺激したことが当該地域の独立につながる。しかし、太平洋島嶼国もそうだが、現在独立したインド太平洋の途上国は腐敗が進み、中共の支援を受けインフラ開発が進んでいる。この背景があってインド太平洋構想があるのだ。
植民が悪く、自決権が正しいという共産主義の思想がアジア地域には広まっていて日本軍部それを支援した背景もある。アウン=サンが共産党員であったことを初めて知った。
第二章 インド国民軍 INA には、当初大東亜共栄圏にはインドは含まれていなかった事が書かれている。F機関の藤原はまだ若く、ビルマの鈴木と同じ理想と浪漫主義で工作活動を行なっていた事が書かれている。みんなアラビアのロレンスに憧れていたのだ。
同書は日本軍が育てた、アジア民族の軍隊の事が書かれているが、軍隊として戦争経験があるのはインドだけであり、日本軍が共同軍事活動を許したのはINAだけだったのだそうである。日本が協力した二人のボーズ。スバス・チャンドラ・ボースが暴力革命を支持する共産主義者であったことも初めて知った。