インド太平洋構想の原点を探る知の旅。
インド太平洋構想ーカール・ハウスフォーファーにつながり、そしてここから先は勘だが、ハウスフォーファーが会っていた後藤新平は玄洋社と関係がある、ということであれば頭山満の大アジア主義を読まないと考えた。
葦津珍彦さんの『国家神道とは何だったのか』 は二度ほど拝読し、感動したので早速『大アジア主義と頭山満』を図書館からかりた。
以下、メモだけ。
葦津珍彦さんは頭山満の弟子だったのだ。そして頭山自身は文章をほぼ書いていない。だから頭山満を知るには葦津珍彦さんの書いたものを読むが一番良いのだ。ビンゴ!
そして頭山満は西郷隆盛の思想を継いでおり、著者葦津珍彦氏は西郷、頭山、そして父葦津耕次郎を生涯の師としていたのだそうだ。
『大アジア主義と頭山満』は昭和40年版と平成17年版が図書館にあって、後者の新しい方を引用する。
マリヤ・ルズ号事件。知らなかった!(11−16ページ)
1872年に日本政府がペルー船籍の奴隷貿易を国際裁判に訴えて勝訴した事件である。ウィキで確認しただけだが興味深い。英国とロシアが日本側についたのだ。
内田良平がロシア革命は日本が支援すべきと主張し、明石元二郎は玄洋社や内田の仲間であった。
つまり、レーニンと頭山、玄洋社、黒龍会が仲間?? 90−91ページ
伊藤、山縣、特に伊藤が日本外交を仕切っていたが中江兆民も頭山も伊藤はダメだと意見が一致していた。後藤新平も伊藤に批判的だ。(後藤の植民論や、「厳島夜話」を読むとわかる)
頭山は日本と支那が協力してインドの独立助け、今までの西洋文明は獣の文明であったから(その通り!)これからは真の人間の文明世界に、という意見を述べている。 188−189ページ
蒋介石は渋谷の頭山満の家の隣に住んで教えを請うた。199ページ
頭山満の大アジア主義は米英の植民地支配からアジア諸国、特に中国、インドを解放し、その3カ国の協力を進めること、のようである。しかし頭山の大アジア主義は、多分英米を排除するものではない、のでは?
ドイツ留学の経験もある後藤は大アジア主義をどう語っているか?彼の植民論とハウスフォーファーの論文を読むしかないだろう。厳島で伊藤博文に大アジア主義を説明しているが、理解してもらえなかった。
ただ、インド太平洋構想は中国を牽制する部分があるかもしれないが、同時に内含していく部分もあるのではないか、と『大アジア主義と頭山満』を読んで思ったことである。