やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

「柳田國男に見せたかった会議」

柳田國男に見せたかった会議」

 2010年3月2日、6カ国(ミクロネシア3国と日豪米)+2NGO(日本財団笹川平和財団)によるミクロネシア海上保安機能向上へ向けた初回会議が東京で開催された。会議前日羽生会長から「絶対に参加せよ」とのメール来て、オブザーバー席で見守った。

 会議後半のディスカッションは結構揉めた。ネチネチ抵抗する米豪に対し議長に選出されたミクロネシア連邦のイティマイ運輸通信大臣が啖呵を切った。

「民主的に選んだ大統領3人が良いって言ってんだア。黙って言う事聞きな。」

勿論、実際は穏やかで力強い、外交的な内容だったが、私にはかくの如く聞こえた。実に痛快、壮快。COP15で主権を踏みにじられたツバルの首相に聞かせてあげたかった。

 自分たちが今まで何十年もやってきてうまくいかないんだからそんな簡単な話しではないのよ、と米豪の代表はしつこい。海上保安庁も啖呵を切った。

海猿を嘗めんなよ。てめえらにできないことなんざア、屁のカッパよオ。」

 勿論、実際の発言内容は全く違う。しかし私にはかくの如く聞こえた。本当に海上保安庁って頼もしい。90年前、ジュネーブ委任統治委員会での南洋群島統治協議を終え、無力感と共に帰国した柳田國男に見せてあげたかった。(注)

 米豪が、というより米豪の外務省がいつまでもネチネチ言っていたのは訳がある。残念ながら日本の外務省が「民間の分際で余計な事をして。」という反応だったのだ(過去形)。USPNetの時もそうだった。

 しかし、新大洋州課長は全面支援の姿勢だ。会議にも出席。USCGと豪国防省も同国の外務省とは様子が違う。日本は海事より海保の方が機動力があり国民の支持が厚い、と豪武官は知っていた。USCGトップAdmiral Allenは我々のイニシアチブに期待している、と述べている。オブザーバーのニュージーランド武官も微力ながら参加したい、と述べていた。

 所有国が不明な鳥の糞のある島を「日本市民」が発見したら、鳩山総理に連絡し、自衛隊を派遣してもらえる。新たな日本領土の確保だ。そんな法律がアメリカには今もある。グアノ島法だ。民間主導はあちらの十八番ではないか。

 以上、独断と偏見ではなく、ちゃんとした会議の報告は下記の日本財団ブログマガジンに掲載されています。

http://blog.canpan.info/koho/archive/1008

(注)1919年、柳田国男は官僚を辞め自由の身となり日本の島々を巡った。1921年、太平洋諸島巡歴を前に政府の交渉を受けてジュネーブ委任統治委員会に参加する。この結果1922年から日本が現在のミクロネシア3国を含む南洋旧ドイツ領を統治。ちょっと長いが下記に『ジュネーブの思い出―初期の委任統治委員会』から引用する。(原文は旧仮名表記)この後「南島イデオロギー」(村井)とも「単一民族神話の起源」(小熊)とも批判される『海上の道』へつながる。

「しかし結局は委任統治と言う組織が、妙な理屈倒れの人工的なものなので、そう言う結果になるものだ、と思わずにはいられなかった。2年間の経験で私に役に立ったのは、島というものの文化史上の意義が、本には書いた人が有っても、まだ常人の常識にはなり切って居ないことを、しみじみと心付いた点であった。所詮裏南洋の陸地は、寄せ集めて滋賀県ほどしか無いのに、島の数が大小三千、うち七百まではたしかに人が住んでいる。それでは巡査だけでも七百人はいるわけだと、冗談を言った委員もあったが、その島々が互いにくい違っためいめいの歴史を持って、或る程度、別々の生活をしていることまでは、陸続きで交際する大陸の連中には呑込めない。茶碗の水も池の水も、水は水だと言うような考えは、西洋で物を覚えた我邦の外交官までが皆もって居て、第一に本国の周辺に、大小数百の孤立生活体の有ることをさえ考えない。数を超越した「人」というものの発達を、せめては歴史の側からなりとも考えて見ることの出来るのが、日本の恵まれた一つの機会だったということを、気付かぬ者だけが政治をして居る。だからまだまだ我々は、公平を談ずる資格が無いと、思うようになって還ったのは御蔭である。」

柳田国男ジュネーブの思い出―初期の委任統治委員会』より

(文責:早川理恵子 2010年3月8日)