Facebookの公開グループで「カール・ハウスホーファー勉強会」も開設した。
インド太平洋構想の話からドイツの地政学者ハウスホファーに繋がった。
ハウスホファーのインド太平洋説は、ベルツなどが展開したマレイ族、即ちオーストロネシア語族の拡散植民を基盤にしているのだ。
そこまではいい。
第一次世界大戦で多くの領土を、特に太平洋の領土を失ったドイツをハウスホファーは嘆き、「太平洋地政学」を書いた。パプアニューギニアとサモアを奪った豪州とニュージーランドをこき下ろしている。旧独領ミクロネシアを統治している日本の事は支持している。
今のところ憶測なのだが、このハウスホファーの「太平洋地政学」が弟子の一人ゾルゲに伝わり、日本の武装的南進論に、即ち国際政治や植民政策を無視した、蝋山政道の「南洋委任統治問題の帰趨」(改造、5月号、1933年ではないか。)に繋がっていくのではないか。新渡戸を継いだ植民政策学者の第一人者である矢内原忠雄先生にその「思想言論態度は自殺的矛盾」(1933年6月、中央公論、546号。矢内原全集第5巻、論文(下)128ー146)とまで批判されている。
そうすると、満州事変を見て警戒感を高めた欧米諸国は日本南洋統治領の動きも一層敏感になり、日本も国際連盟脱退と軍閥の動きなどから、海軍がいっそう活発に南洋に出て、欧米から見れば漁業か海軍の動きかわからないような事もあったのではないか? 矢内原先生が上記の論文で議論しているように、平和会議では日本がミクロネシアを取る事に豪州、ニュージーランド、そして米国は酷く反対していたのである。そこに蝋山が「戦略的戦術的及び経済政策的に根幹としての太平洋に覇を唱え」たのは、まさに「思想言論態度は自殺的矛盾」と批判したのである。
マレイ族のインド太平洋拡散は、太平洋の領土を失ったドイツ人愛国者ハウスホファーが誤解、曲解して、日本に逆輸入された。
というのが、今のところの当方の勘である。