運命の人―ビリー・クアルテイ前大統領補佐官
今回のパラオ出張は特別だった。
ビリー・クアルテイ前大統領補佐官にやっとお会いできたからである。
ミクロネシア海上保安案件を立ち上げる際、ミクロネシア3国の了解を取る、というチャレンジングな業務を行なった。2008年5月のことである。
これはパラオのビリー・クアルテイ大統領補佐官に相談するしかない、と居場所を探したらハワイにいた。米国と自由連合協定の交渉をしていたのである。2008年8月のことだ。
クアルテイ前大統領補佐官には、基金事業で香港PECC総会や沖縄の会議にご参加いただいたり、不発に終わったがODA申請案をいくつか立ち上げたりした。
ハワイ大学の知り合いに頼み、ビデオ会議を設定してもらい一人で交渉することとなった。
交渉と言っても自信がなかったので「これこれしかじかで、どうしたらいいでしょう?どうでしょう?」と実に頼りない交渉。反応は意外だった。
「リエコ、さっきまでキーティング司令官と会議をしていてその事を話していたんだよ。わかったから任せなさい。」
キーティング司令官が我々の動きを知る訳がない。何を言っているんだろう、と不審に思いつつも任せろ、というから任せることにした。
任せた結果、2008年11月のミクロネシア大統領サミットでつつがなく承認され、その後粛々と進んでいる。
この大恩人に事業の進捗報告とお礼がしたくて、パラオに行くたびに連絡をしたが、いつも不在であった。ところが今回は、私が来ていることをどこかで聞いて連絡をくださった。
クアルテイ前大統領補佐官との面談はあっという間の2時間だった。
3年前に比べ私も若干勉強しているので、連合軍と海保設立の背景や、海上保安庁法第25条とか、law ship, war shipの話をしている内に、キーティング司令官の話になった。
「この広い太平洋を護るには、日本が必要だ。この地域で力と金があるのは日本だけだ。しかし、彼らは協力してくれない。なぜか。我々が彼らの手足を縛った結果なのだ。」
というような話を2008年、司令官がパラオ代表団とハワイでしていたらしい。
そのすぐ後に、日本がミクロネシアの海上保安をやりたい、とビデオ会議で私から聞かされたのだ。大統領補佐官である。ピンと来ないわけがない。
偶然にもキーティング司令官と私が同時に同じ事を考えていた事になる。
なんだか話しが出来すぎているけど、これが運命、というものだ。
面白い話も伺えた。クアルテイ前大統領補佐官は現役を退いているがトリビオン大統領、ギボンズ大臣、みんな仲間だという。
どんな仲間なのか?
1978年頃、パラオ、マーシャル諸島、サイパンが参加した独立国、ミクロネシア連邦の構想があった。しかし、サイパンでの交渉で机を蹴って、自分たちが作った憲法を投げ捨てて、怒って飛行機に乗って帰っちゃったのはパラオだそうだ。地域協力の足並みを崩した犯人である。
この憲法、現在のミクロネシア連邦の憲法になっている。
皮肉な事に、2000年頃始まったミクロネシアの地域協力をロビーイングしたのはパラオ(クアルテイ大統領補佐官)である。
ビリー・クアルテイ前大統領補佐官、牧師さんでもある。困ったことがあれば何時でも相談しなさい、と言っていただいた。
困った事、最近あったんです。もう少し早くお会いしていればナ。
これも運命である。