やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

ミクロネシア(7)-3 ミクロネシア海洋安全保障事業

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 2008年5月。ミクロネシア連邦モリ大統領の非公式な承認を得たあと、私がコンタクトを取ったのが旧知のビリー・クアルテイ閣下であった。当時彼はパラオ大統領補佐官の立場だった。私は彼が90年代、文部大臣の頃からのおつきあいで、遠隔教育ネトワーク、情報通信インフラ支援等々でかなりつっこんだやりとりをしてきた。

 クアルテイ大統領補佐官は、自由連合協定に関する米国との協議のためハワイにいらした。私は知人の国連大学ブレンダン・バレット博士に依頼してテレビ会議を設定してもらった。2008年8月のことである。

「クアルテイ閣下、ミクロネシア地域の海洋安全保障の支援を検討しています。モリ大統領は前向きです。いかがでしょう?」

「リエコ、さっきまでキーティング司令官と会議をしていてその事を話していたんだよ。わかったから任せなさい。大統領に話して次回のミクロネシア大統領サミットの議案にしよう。」

  キーティング司令官が私の動きを知る訳がない。何を言っているんだろう、と不審に思いつつも任せろ、というから任せることにした。とにかくモリ大統領が指摘した通り、ミクロネシア地域は米国の裏庭、戦略的地域なのである。特に安全保障に関しては米国の了解、目の届く範囲で行う必要がある。ミクロネシア3カ国が米国と調整しながらこの事業を進めてくれる希望が見えてきた。

  そして3ヶ月後の2008年11月のミクロネシア大統領サミットでつつがなく承認され、その後粛々と進めることとなった。このサミットはミクロネシア連邦首都ポナペで開催されたのだが議長はパラオになった。レメンゲサウ政権2期目の最後ということでモリ大統領が花道を譲った形だ。

 その後3年ほどクアルテオ閣下とは連絡が途絶えたのだが、パラオでお会いした時は数時間に渡って情報交換をさせていただいた。

 3年前に比べ私も若干勉強しているので、戦後の連合軍と海保設立の背景や、海上保安庁法第25条の件とか、law ship, war shipの話をしている内に、キーティング司令官の話になった。

  あの時ハワイの政府間会議の席で、キーティング司令官らはパラオ政府代表団に向け、

「この広い太平洋を護るには、日本が必要だ。この地域で力と金があるのは日本だけだ。しかし、彼らは協力してくれない。なぜか。我々が彼らの手足を縛った結果なのだ。」

という話をしていたというのだ。

 その直後、私から日本がミクロネシアの海洋安全保障支援を検討したいがどうか、とビデオ会議で聞かされたのだ。大統領補佐官である。ピンと来ないわけがない。日本の関与を米国が望んでいる。誰が反対するであろうか?

 しかし強硬に反対する国があった。オーストラリアである。