『日米の戦略対話が始まった』
秋山昌廣著、亜紀書房、2002年
戦後初の日本の自主的安全保障を提唱した「樋口レポート」。
実際に書かれたのは、渡辺昭夫先生である事はどこかで聞いたり、読んだりしていた。そしてこの「樋口レポート」に対しアメリカから大きな反響があり、「ナイレポート」に繋がったことも知っていた。
今回『日米の戦略対話が始まった』を拝読し、このレポートがどのようにまとめられ、米国がどのように反応し、それに対しまた日本がどのように応えたか、初めて知る事ができた。
渡辺昭夫先生は笹川太平洋島嶼国基金の2代目の運営委員長である。10年近く、私は渡辺先生のご指導を受けながら、島嶼国基金の第2フェーズ(第1フェーズは笹川会長が運営委員をされていた時期)を実施させていただいた。
運営委員長をお願いする以前、私は当時青山学院大学にいらした渡辺先生の門を叩かせていただき、太平洋島嶼国のPEACESATやUSPNetを中心に通信政策についてまとめた。なので、大平首相の環太平洋構想で渡辺先生が島嶼国を担当されていたこと、「樋口レポート」を書かれたことは勿論知っており、その後事業を進める上で常に頭にあった。
この本によれば、「樋口レポート」で日米安保関係強化を2番目に、1番目には多角的安全保障協力をもってきたことが、米国に大きな懸念となったらしい。話しの順番とはこれほど大事なものなのか。
米国も一枚岩ではない。米国は「樋口レポート」を”ガイアツ”として利用し、東アジア戦略をクリントン政権のアジア外交の基本に位置づけることに成功した。これを進めたのがジョセフ・ナイ博士である。
話しの順番が寝た子をおこしてしまったのである。そしてそれは、同書で詳細な経過が書かれているが、日米戦略対話開始のきっかけとなったのである。
ミクロネシアの海上保安事業を進める中で、これは日米同盟の新たな切り口である事を確信し出した頃、樋口レポートを読み直した。
海上保安庁の事も書かれていた。ミクロネシア海上保安案件は日本の海上保安庁の協力を得て進めている。
同レポートの具体策の中に「海上防衛力」という項目があり、海上自衛隊が海上保安庁と提携して法執行分野も取り組むべし、としている。そこで渡辺先生に海自と海保の役割についてどのように整理されていたのか、もしくは協議されていたのか。即ちlaw shipとwar shipの住み分けに対する見解を伺ってみた。渡辺先生の回答は意外にも「日本では海上保安庁に関する研究が弱い。」ということであった。
『日米の戦略対話が始まった』もまずは自衛隊(軍隊)ありき、なのである。Militaryがcivil分野で行動する事に関しては、英国ではマンスフィールドドクトリンがあるし、米国ではポッセコミテタス法があり、十分に議論されている。即ち軍が市民にForceを使用した反省が経験知としてある。だからこそ、米国ではUSCGと軍の協力関係が成立可能なわけである。
そうすると先般のワシントンで、私のメモを参考にした笹川会長の提言(非軍事+太平洋島嶼国)が日本の安全保障体制にとって、日米同盟の新たな切り口として、実は大変重要な示唆をしているのではないか、と考えるようになった。