やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

二人の男に愛された太平洋

二人の男に愛された太平洋 

 ミクロネシアの政治的地位、米国とミクロネシア3カ国が締結する自由連合協定とは何か?

 1945年からパラオ独立1994年までのミクロネシア50年の歴史。実は今まで意識して勉強したことはない。日本語の文献はあまりないし、あっても参考文献が限定されていて参考にできない。

 

 当然と言えば当然だが、英語の文献はちょっと調べただけでも何十とある。この中から取りあえずはカンを頼って4、5冊の本を斜め読み且つ拾い読みし、ウェッブで見つけた10位のペーパーにも目を通した。まだ2週間ほどの作業だが面白い指標が見えてきた。

 それは太平洋の島を愛した、対照的な2人の男の存在だ。

 一人は太平洋戦争に参加。ソロモン諸島で日本軍に攻撃を受け、命からがら部下と無人島へ。そこからココナッツの殻に救助のメッセージを刻み島人の協力を得て生還した男。1917年生まれのジョンFケネディ。(米国の「太平洋の世紀」を理解するには少なくともケネディから始める必要あり。)

 もう一人は英国支配の未だ色濃いニュージーランドで生まれ、学生の時から「帝国」への批判精神を養い、小国の自由や主権を主張してきた男。戦後サモアを始め島嶼国の独立支えて来た歴史学者にして行動家。1915年生まれのジェームズ デビッドソン教授。

 ここ2、3週間で得た知識なので、まだ確証はない。が、この2人の太平洋の島々への、それは全く違った形なのだが、特異な思いが、ミクロネシア自由連合協定、即ち米国の対太平洋島嶼政策を理解する鍵のように思えてきた。

 

 ケネディは自分の戦争体験から太平洋には特別な、個人的思いがあった。定年後はグアムの知事になりたがっていた、という噂がある程だ。オーストラリア、ミクロネシアインドネシア、日本、沖縄、フィリピンで構成する“New Pacific Community”の構想をも持っていた。ニューフロンティア政策の延長だ。

 しかし大統領になったとたんキューバ危機、ベルリンの壁建設と冷戦は深まり、ミクロネシアへ与えるはずであった“ニューフロンティア“は、米国の安全保障を守るための愛にすり替わってしまった。これがNational Security Action Memorandum Number 145: New Policy for the US Trust Territory of the Pacific Islands, April 18, 1962である。(資料1、2)

 この数週間の資料調査でデビッドソン教授の存在を知ることができたのは幸運であった。

 小国の自由と主権を支持し、傍観者ではない歴史家、“Participate History”の立場を取るデビッドソン教授は自らが所属するオーストラリア国立大学学長から批判を受けながらも、大学の業務とは関係ないサモアの独立を支援し、クック諸島自由連合協定を成立させた。そして1968年、やはりデビッドンソン教授が支援したナウルの独立記念式典で運命の出会いがある。式典に参加した当時のミクロネシア議会のメンバーに出会い、自由連合協定の道を示すのである。

 デビッドソン教授のアドバイスを受け、ミクロネシア議会は米国の拘束を否定する政治的地位を求める4つの指針を米国に示す。(下記資料3)

 デビッドソンの太平洋の島々への愛はケネディとは対照的に自由を与えるものであった。そして勿論ミクロネシアのリーダー達は目の前に山と積まれたプレゼントー援助よりも自由を選んだのだった。

 後に初代大統領となるアマタ・カブア議員、トシオ・ナカヤマ議員等へのデビッドソン教授の入れ知恵は米国に大きな衝撃をもたらした。

 その後の米国とミクロネシアのやり取りはこれから調べていくが、結局デビッドソン教授が示した「自由の愛」即ち自由連合と主権は、冷戦下であったとは言え、ケネディが示した「拘束の愛」に形を変えてしまう。「自由」よりも「連合」の関係となる。

 デビッドソン教授は1973年これもやはり独立を支援していたパプアニューギニアで突然亡くなる。ミクロネシアのその後の長い交渉の経緯を知っていたら何か行動を取っていたに違いない。

 

 

<参考資料>

資料1

「1962年4月18日、ケネディ大統領は政策変更を明記した国家安全保障対策覚書に署名、近い将来、国連による信託統治が終わった時にはミクロネシアの人々が米国と緊密な関係を維持する道を選んでくれるよう期待した。米国のこのような意図は、自由世界の反植民地運動に逆行するものではあったが、米国の国益にかなうものはミクロネシアの人々の幸福に結びつくと単純に考えられていたようだ。」

フランシス・X・ヘーゼル、S・J - "Yesterday ' s Myths, Today ' s Realities" America, 24 May, 1980, 434-7

資料2

National Security Action Memorandum Number 145: New Policy for the US Trust Territory of the Pacific Islands, April 18, 1962

Date:04/18/1962

Creator:The Papers of John F. Kennedy, Presidential Papers, National Security Files, Meetings and Memoranda Series, National Security Action Memoranda, National Security Action Memorandum Number 145. John F. Kennedy Presidential Library and Museum, Boston, Massachusetts

http://www.jfklibrary.org/Asset-Viewer/cgEk3EZFNUedWI4CkuURVg.aspx

資料3

“The four principles reflect how far the Micronesians had moved beyond what had been envisioned in National Security Action Memorandum 145 of 1962: (1) that sovereignty in Micronesia resides in the people of Micronesia and its duly constituted government; (2) that the people of Micronesia possess the right of self-determination and may therefore choose independence or self-government in free association with any nation or organization of nations; (3) that the people of Micronesia have the right to adopt their own constitution and to amend, change, or revoke any constitution or governmental plan at any time; and (4) that free association should be in the form of a revocable compact, terminable unilaterally by either party”

“National Security and Self-Determination: United States Policy in Micronesia (1961-1972),” by Howard P Willens and Deanne C Siemer. Westport, CT and London: Praeger, 2000.