やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

南太平洋大学の起源

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Laucala Bay Flying Boat Base near Suva, Fiji.

来月、7月にフィジーの南太平洋大学で12th Pacific Science Association Inter-Congressが開催される。

日本からはあの黒川清先生がキーノートスピーカーの一人として参加。

私も400近くもある発表者の一人として参加する。

USPNetの事を話すのだが、改めてUniversity of South Pacific-南太平洋大学の起源を調べた。

「1970年王立勅許により設立された。」

こんな表現しか今まで使ってこなかった。

Royal Charter - エリザベス女王の勅許でUSPが設立されたのは1970年3月5日。

フィジー独立(1970年10月10日)まで7ヶ月。

で誰が南太平洋大学を作ったのか? 英国とニュージーランドである。

Morris Reportというのが1966年に発行されている。正式なタイトルは以下の通り。

“Report of the Higher Education Mission to the South Pacific appointed by agreement between the Government of Britain and New Zealand with the co-operation of the Government of Australia”, Ministry of Overseas Development, London, Her Majesty’s Stationery Office, 1966.

なんで、イギリスとニュージーランドなの?オーストラリアはなんでおまけなの?

第二次世界大戦後の太平洋島嶼の勢力地図を思い出そう。

オーストラリアが信託統治したのがパプアニューギニアパプアニューギニアは他の太平洋の島々の人口を全部集めても足りない程の人口を抱えているし、領土も広い。パプアニューギニアに高等教育機関を独自に作る動きが既にあった。

赤道以南の小さな島々はイギリスとニュージーランドが管理していたのである。

ナウルだけが、英豪NZの共同管理だった。

Morris Reportが出る1966年以前より、1950年代から地域の教育機関を設置しようという動きはあった。中心となったのはSouth Pacific Commission 今のSecretariat of Pacific Community。

South Pacific Commissionは旧宗主国の植民地管理機関。1947年即ち、戦後すぐに設置されている。太平洋の地域機関の中では一番古い。 設立当時は和蘭も入っていた。

大学レベルの地域高等教育機関を設置する事を明確に提案したのがMorris Report。南太平洋大学構想案が策定され、1968年には暫定組織が設立し運営が開始されている。

Morris Reportの中には、各島の町から村をまで教育が浸透すべく、“Extra-Mural Studies”を行う事も提案されている。USPNetを使用した遠隔教育の起源である。

なぜ、USPがスバのラウカラ港にあるのか?

そこに王立ニュージーランド空軍基地があったからだ。1942年に設置されている。

1942年ー日本軍が赤道を超え、ガダルカナルパプアニューギニアに進出した年である。

つまり日本軍を撃墜するためのニュージーランドの空軍基地が、もう必要なくなったのでその建物を利用して南太平洋大学が設立されたのある。

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Laucalaキャンパスには、今堂々と"Japan Pacific ICT Center"が建設されている。この命名には故牧野修博士の思いがこもっています。