やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

国際協力による太平洋島嶼地域の情報通信支援政策 - PEACESATのケーススタディを通して- 第四章

(20年前に書いた2つ目の修論です。表がうまく入らないので後日修正します。)

国際協力による太平洋島嶼地域の情報通信支援政策

-PEACESATのケーススタディを通して-

早川理恵子 1999/1/10

第4章 英・米・日の太平洋島嶼国政策と通信政策

本章では太平洋島嶼旧宗主国である英米、及び日本の通信政策と太平洋島嶼国への援助政策に関する動向を調 査分析する。
小国である太平洋の国々はこれらのメトロポリタン諸国の援助に大きく頼っており、国の通信環境もこれらメトロポリタン諸国の通信政策に大きく影響されるのが実情である。

4.1 英国

英国の通信の開発大英帝国の繁栄と情報通信政策

中西輝正はその著書『大英帝国衰亡史』の中で、英領南アフリカの基礎を築いたヤン・スマッツの下記の言葉を引用し大英帝国とは「威信のシステム」であったと述べている。(注1)

大英帝国が、世界中の諸民族や部族におよぼしている支配と統治の真の基礎は、軍事力などの力にあるのではなく、その威信と精神力(モラル)にあるのである。(C. J. Bartlett, ed., Britain Pre-eminent: Studies of British World Influence in the Nineteenth Century, 1969, p.192) 情報通信技術は国内的には国の秩序を維持し、 情報産業を育成するためには欠くことのできない手段である。 そして国際的には植民地の確保、貿易の発展、軍事上の優位をはかるためのかけがえのない武器であった側面は見逃せない。情報通信技術は「平和の増進」と「利益の追及」という2つの面が複雑に絡み合う中で、発展してきたと言える。通信は発信者のメッセージを伝えたり送受信者が情報意見を交換する手段にすぎない。これが、国の通信政策や通信事業ということになると、国の権威・利害がからんでくる。イギリスは他国にさきがけて産業革命が終り、工業と貿易により富を蓄積していた。そこに電気通信があらわれ、とくに海底電信に巨額の投資をして世界海底通信網を独占するにいたった。

ヨーロッパ各国はイギリスの独占を打破しようと試みたが一歩先に通信網構築を果たしたイギリスの既得権を奪うのは難しかった。また、イギリスはこれらの動きを妨害した。イギリスの公衆電気通信は1846年から私企業によってはじめられたが、会社間の競争が激化し市民の生活に弊害を生むまでとなった。

これらの問題を解決するために、電信法が定められ、1869年国内電信は完全に国営化 されたのである。このようにイギリスの蓄積された富は国の政策として通信開発につ ぎ込まれ、イギリスの通信省が1889年にはフランス、ベルギー、オランダ、ドイツの各海底ケーブルを買収し、ヨーロッパ電気通信事業をも独占するにいたったのである。

同時に北大西洋横断ケーブルに始まった、ヨーロッパ外での電気通信は徐々に拡大され、1908年にはイギリスが運営する海底ケーブル網は世界の49.6%の253,898kmに及んだ。

  1904~1906年における年平均貿易額(単位10億マーク) 1908年におけるケーブルの長さ

  輸入 輸出 計 (Km)

イギリス 10.14 6.84 16.98 253,898

ドイツ 7.17 5.77 12.94 30,167

アメリカ 4.45 6.51 10.96 92,818

フランス 3.87 3.83 7.7 43,115

イタリア 1.7 1.38 3.08 1,090

日本 0.8 0.74 1.63 8,084

表2 20世紀初頭における主要国のケーブル長と貿易額の比較

(出所)上田弘之『ITU小史』(財)日本ITU協会 264頁

世界の重要点を着々とつなぎ、膨大な海外市場や植民地を掌握し、軍事・政治・貿易上ゆるぎない基盤を作ったことが大英帝国繁栄のひとつの要因である。電気通 信の軍 事利用イギリスが世界の海底ケーブルを独占したことは、当時ヨーロッパ各国は平和通商貿易と交通運輸のためと考え、軍事・外交上の武器として利用しているとは想像していなかったようである。 それを知ったのは第1次世界大戦が始まってからである。イギリスは戦争中、敵国の通信回線を切断することなどで妨害に成功。同盟国もイギリスの回線にたより、膨大な通信費がイギリスに流れた。

これらイギリスの電気通信における覇権の要因は下記の通り、豊富な資金とデファクトスタンダードを作っていったことにある。(表2)

バツ1 潤沢な資本

バツ1 英帝国の植民地の繁栄と大規模な通商上、航海上、そして軍事上の管理の必要性

バツ1 海底線絶縁体製造権の独占

バツ1 ケーブル製造会社の早くからの設立

Cable & Wirelessの発展と現状(注2)

大英帝国政府は1929年にイースタン電信会社とマルコーニ無線会社の合併を促し、インペリアル・アンド・インターナショナル・コミュニケーションズを成立させた。同社は1934年に社名をCable & Wirelessに変更。1945年の帝国通信会議での提案を受け、1947年大英帝国政府は同社を国営とした。 1979年保守党が政権についたことで1981年には民営化された。さらに1996年から国際公衆電気通信交換網が複占(BTとマーキュリー)であったが市場開放され競争状態になった。そして現在では英国のすべての公衆電気通信事業者が民営となっている。

しかしながら、英国の大手通信事業者2社British Telecom(BT)とCable & Wireless の15%を超える株式の取得を制限する権限を政府が保有している。現在Cable & Wirelessは本社を香港に置き55カ国以上で事業展開している。各国政府、企業、公的機関等とのジョイントベンチャーもしくは単独経営を展開している。その事業展開はまさにTrans National Companyとしての性格を有していると言えよう。

1990年には、イギリス・中国・香港の合併企業アジアサット社を設立。同衛星は中国所有の国内通信用であるが北ビームと南ビームで中東から極東までの広いビームエリアを持っていることが特徴である。

Cable & Wirelessは1998年には世界1700万の顧客にサービスを提供している。グループの収益は94年には4,699百万ポンドであったのが95年には5,133百万ポンド, 96年には5,517百万ポンド, 97年には6,050百万ポンド, そして98年には7,001百万ポンドとここ数年の伸び率は高い。

事業展開をしてる55カ国中には太平洋島嶼国を始めとする多くの途上国も含まれ、経 済合理性が低いこのような地域に対しCable & Wirelessがどのような経営理念を持って事業展開をしているのか、また国際通信事業者としてユニバーサル・サービスをどのように捉えているのか調査する余地は本研究ではなかった。

しかしながら、少なくとも大英帝国の植民地ネットワークを基盤にしてCable & Wirelessという通信事業者が現在に至るまで成長し続け、今後は世界的な通信市場の自由化により、より一層の発展拡大につながっていくことが予想できるだろう。

英連邦の役割と現状

イギリスの海外支援は国際開発省(Department for International Development: DfID)の責任の下に一元的に行われている。その特徴として英連邦諸国に対する援助が 51.8%と大きな比重を占めていることが上げられている。(注3)

ここでは太平洋島嶼国の多数がそのメンバーとなっている「英連邦」について見ていきたい。1996年1月1日英国は南太平洋委員会から脱退した。これは英国が当時の保守政権の下、財政緊縮のためと海外支援はEUなどの国際機関を通じて行うといった 政策を反映して行った決断である。英連邦メンバー国が多い太平洋島嶼国にとっては、ショックなことであったようだ。 しかし協調外交を展開するブレア政権になってから急遽にその態度を変え、1998年1 月1日再加盟することになった。87年の無血クーデター以来英連邦のメンバーシップ を剥奪されていたフィジーは人口の半分を占めるインド人の待遇を大きく改善した憲 法の修正を行い、1998年再び英連邦の仲間入りをした。

フィジーのランブカ首相はイギリス女王をフィジー共和国の国家元首として迎えたいとの発言もしている。 また、ツバルは1995年その国旗から旧宗主国である英国のユニオンジャックを一旦取り外したが、翌年1996年には元に戻した。イギリスの太平洋島嶼地域へのプレゼンスは多分に中西が指摘するように「威信」という精神要素が強いと思われる。(注 4) "Victoria Street", "George V High School"など植民地時代の名称は現在も使われ、1998年11月には英国王室のアンドリュー皇太子が太平洋島嶼国を訪問し、各国で歓迎を受けている。また同年南太平洋大学に英国情報センターが新たに設立されることが決まり、その開幕式に皇太子も出席したそうである。過去にはエリザベス女王も同地域に訪問し、各国の指導者の中にはSirの称号を英国王室から貰う人も少なくない。 中西は英国が1997年に香港を手放したことが大英帝国の幕引きとなった、と言うがその残影は少なくとも太平洋島嶼国に色濃く残っているように思える。(注5)

現在では太平洋島嶼国の主要な援助国ではない英国は、少なくとも旧植民地であった太平洋島嶼国の人々からはその文化的遺産をもって今だ強い支持を得ているといえよう。(表3参照)そしてその遺産は南太平洋大学の遠隔教育ネットワークを始め、太平洋島嶼国を結ぶ重要な共通文化となっている。

英連邦とは?

地球上陸地面積の4分の一、世界人口の6分の一を長期支配し、世界秩序の担い手と なった大英帝国の繁栄は、長期の衰退プロセスを辿り、英連邦という一つの残影として今に形を止めていると言えよう。中西は「英国は『英連邦』という曖昧なつながりによってなんとなく帝国の余韻とフィクションにすがり、帝国の解体にともなう痛みを和らげようとした」と述べているが、(注6)実際には具体的活動を展開する実体のあるつながりである。 そして、大英帝国の面影は現在でも旧植民地の行政や社会制度と人々の価値観の側面に強く止まり、米ソ2大国の冷戦構造終結の後の新たな世界秩序模索の中で、見過ごせない存在であると考える。

英連邦の組織(注7) 英連邦は独立国からなる任意団体で、国際的目的に向けて、相互支援、共同活動を行う。英連邦はかつて大英帝国の家族として、現在は共通の遺産である言語、文化、教育を基礎に、偉大なる信頼と相互理解をもって協力しあう関係を築いている。加盟国 には世界で1番大きな国土を持つカナダ、2番目に人口の多いインド、世界で1番小さな共和国ナウル、世界初の工業国イギリス、アジアの虎と言われるシンガポール、産業化が急速に進むマレーシア、GNPの最貧国モザンビーク、タンザニアそして隔離された小さなたくさんの島嶼国家とその多様性が特徴である。

バツ1 54ヵ国の加盟国

バツ1 加盟国は南半球、北半球を含む地球上のすべての大陸とすべての海洋をカバー

バツ1 世界の4分の一の国家と人口を抱える

バツ1 世界のほとんどの宗教と、人種と政治的思想をカバーする

バツ1 豊かな国と貧しい国、大きな国と小さな国が含まれる

バツ1 共通の教育システムを持っている

バツ1 英語が共通言語である

バツ1 小国の3分の2をカバーする

英連邦の特徴と活動

英連邦の力は、継続的な相互協力、コンサルティング、コーディネーションの努力から導かれる活動にある。2年ごとに開催される英連邦首脳会議の他に、経済、教育、農業など閣僚会議が定期的に開催されている。以下は具体的な相互協力事業の事例である。

バツ1 地域投資基金の設立

バツ1 株式市場の設立支援

バツ1 マクロ経済政策への専門的支援、税制度、情報・統計管理の支援

バツ1 会計処理のコンピューターシステムの開発と配布。

現在40の英連邦国と7つの非加盟国の政府および中央銀行がこのシステムを利用し

ている。高度な技術を持つ専門家、技術者の交流
Commonwealth of Learningなどの活動組織の設立Commonwealth of Learning(COL)(注8)

英連邦事務局はイギリス政府の外務英連邦事務所(Foreign & Commonwealth Office)に置かれ、イギリス政府の外交政策と英連邦のネットワークは強く結び付けられている。英連邦が「曖昧な」つながりでない証拠に次の様な活動組織をいくつも設立していることが上げられよう。その中でも太平洋島嶼国の遠隔教育、特にUSPNet 運営のアドバイザー的役割を持つCommonwealth of Learningについてその詳細をまとめる。(注9) COLは1988年にカナダに設立された遠隔教育のコンサルテーションを英連邦メンバー国を対象に行う機関である。

バツ1 The Commonwealth Foundation

バツ1Commonwealth Network of Information Technology for Development (COMNET-IT)

バツ1 
The Commonwealth Broadcasting Association (CBA)

バツ1 Commonwealth Telecommunications Organisation (CTO)

バツ1 Association of Commonwealth Universities

バツ1 
Institute of Commonwealth Studies (University of London)

バツ1 Commonwealth Youth Program


バツ1 Commonwealth Institute (Kensington High Street, London)

COL組織の設立と目的COLは1987年にバンクーバーで開催された英連邦首脳会議 における提言に基づき1988年9月設立された機関。 遠隔教育技術や情報通信を利用し、教育の機会を広げるとともにその質を高めることを目的としている。各国の政府、教育機関等との連携協力を図りながら、各国の経済的社会的ニーズに見合った人材育成を可能にする教育機能の強化を目指す。 本部はカナダのバンクーバーに置くが、カナダ政府からは独立した国際機関であり、全英連邦国から選出された17名からなる理事会によって運営されている。なお、 COLは唯一本部を英国外に置く英連邦の機関である。 1988年の設立時には英連邦基金から当面5年間の活動資金として1、500万ポ ンド拠出された。英連邦各国から任意に資金が提供されるほか、各事業ごとに外部機関からの資金援助、委託金を受ける。本部を置くカナダ政府とブリティッシュコロンビア州政府は、本部事務局の場所、機器等を提供している。

COL設立の背景COL設立には遠隔教育による人材育成の目的の他に、英連邦のネットワーク強化の意味があった。

環境破壊・資源の枯渇等、ますます混迷を深める地球的諸問題に直面 して、人材育成分野、特に途上国における教育機会の拡大がこれまでになく切望されていること。そして、今後遠隔教育が新たなツールとして注目を浴びてきている。

急激に変化する国際情勢の中で、従来の英連邦ならびにその機関の在り方に懐疑 的な世代が連邦国の中枢に台頭してきた。英連邦加盟国の連携を新たな角度から 維持・促進していけるようなフレームワークが模索されていたこと。

英連邦は、高度な通信技術を所有する先進地域と、教育機関の一般大衆への一層の拡大を必要としている発展途上国地域からなる。すなわち、英連邦は遠隔教 育事業を通して加盟国の連携強化を図るとともに、途上地域の経済・社会発展 を促進する役割を明確にすることによって、英連邦の国際社会における存在意義を明示できる。

4.2 米国

太平洋島嶼国との関係

太平洋島嶼にはハワイ(米国に編入されたのは1898年)アメリカンサモア、グアム、 北マリアナ連邦の米領が存在する。また、戦後アメリカの信託統治下にあったミクロネシア連邦マーシャル諸島共和国、パラオ共和国は独立したとはいえ、米国と自由 連合協定を締結し、アメリカの傘下にあると言えよう。冷戦期には、ハワイからクワジェリン、グアム、沖縄、スービックを結ぶシーレーンは軍事的に重要な意味を持っていた。(注10)

冷戦崩壊以来、米国の太平洋島嶼政策は視点を失い揺れているようにも見える。しかしながらそのような中においてもハワイは太平洋情報の発信基地であり、またグアム、ハワイには大きな米軍基地が存在し、人々の生活は基地経済に支えられている。 独立した3つのミクロネシア諸国は自由連合協定で決められた自立のための15年間の 財政支援の延期を必要としている。 そして、多くのミクロネシアの人々がアメリカ本土へ教育と雇用の機会を求め移動している。米国の太平洋島嶼地域における役割は大きい。なお、主に米国の国務省がこれらの地域を担当している。(注11)

Pacific Islands Development Program(PIDP)の役割

PIDPは1980年にハワイの東西センター内に設立され、研究、人材育成、情報発信な どの活動を推進している。東西センターは米国のアジア太平洋戦略の拠点ある。PIDP は太平洋島嶼域内の8つの政府間地域機関の一つで、太平洋島嶼国の首脳会議と、毎年開催されるStanding Committeeにより運営指針が策定される。 1990年にはブッシュ大統領の提案により米国と太平洋島嶼国の経済的関係を促進するためのJoint Commercial Commission(JCC)がPIDP内に設置された。 JCCの設立の背景には当時Johnston島を軍事兵器の破棄に使用することを決めた米国への反発を押さえる目的があったと言われる。 1998年2月に開催されたPIDPの第25回Standing Committee Meetingでは、フランス政府およびフランス領ポリネシア政府から事務所をタヒチに移動することが提案されたが、東西センターとの今までの関係、特に域内の地域機関の中で米国がイニシャ ティブを持っているのはPIDPだけであるという点を各国のリーダーが重視し、この提案は却下された。(注12)

ハワイ大学の役割

ハワイ大学は米国の50番目の州の大学として、州内に10のキャンパスを設置し、州 のニーズに答えつつ、高等教育を市民に提供している。
Manoa, Hilo, O'ahuの西とleewardに1校づつ、 さらに市民の広い層が容易に教育サービスを受けられるようCommunity CollegeをO'ahuに4校、Maui, Kauai Hawaii 島に1校づつ設置している。 大学の特徴の一つにハワイ、アジア、太平洋の要素を持ちつつ国際的指導力を発揮する役割を持つことが述べられている。大学の共通の価値観には「アロハ精神」が含まれていることが興味深い。(注13)

校章にはハワイ州のモットー、"The life of the land is perpetuated in righteousness. Ua mau ke ea o ka'aina i ka pono"が記されている。 大学のモットーは"Above all nations is humanity"でこの言葉を反映し生徒の割合は、西洋人20%、日本人20%、フィリピン人15%、ハワイ人13%、その他32%と なっている。1907年College of Agriculture and Mechanic Arts がManoa校に設置されたのが始めで、1920年には大学に昇格した。大学がハワイの精神や文化を重要視していることは興味深い。 ハワイ文化とはポリネシア文化であり、ニュージーランド、ハワイ、イースター島を頂点としたポリネシアン大三角形は太平洋を広く占有している。また、同じポリネシ ア文化圏のトンガ、サモアからの移民や出稼ぎ労働者がハワイには多い。ハワイが米国のアジア太平洋戦略の拠点としての地理的・文化的条件を十分満たしているといえよう。自ずとハワイ大学が太平洋島嶼研究に力を注ぐことになる。

1950年Pacific Islands Studiesが同学内に設置されて以来、ハワイ大学は太平洋島嶼 国の政治、福祉、環境等に特別なコミットメントを持つようになる。1950年という 年月が冷戦が始まる時期と一致していることも興味深い。現在はManoaキャンパスだ けでも約200の学科が太平洋島嶼地域に関連した研究を行っている。その中でも自然科学、物理科学と熱帯農業学科が太平洋島嶼地域に関する多くの研究を進めている。 Pacific Islands Studies自体は文化人類学、歴史、地理、Indo-Pacific言語などの学問を中心に太平洋島嶼研究学位と修士を提供しており、その点では米国では唯一の学 科である。米国本土で太平洋島嶼研究をしているのは他にオレゴン大学があるが、ハワイ大学の比ではない。

グアム大学の役割

グアム大学はミクロネシア地域で唯一の総合大学としてミクロネシア地域全体に高等 教育の機会を提供することがそのミッションの一つとなっている しかし、現在グアム大学は米国の財政支援のカットと主に日本のバブル崩壊の影響を受けた経済の落ち込みのため、他のミクロネシア諸国の面倒を見ることを重荷と思っ ているようである。 他方グアムは米国の準州としてまた基地経済の恩恵を受け、さらに日本を始めアジア諸国の経済的関係も深くミクロネシア地域の中では最も経済的に発展した場所である。よって、雇用の機会の少ないミクロネシア諸国からの手稼ぎや留学を多く受け入れている。同大学内にはMicronesia Area Research Centerがあり、ミクロネシアおよび太平洋島嶼地域研究の拠点となっている。

情報通信政策

1800年代後半、アメリカにベル電話会社が設立されたが、資金不足のため国内の公衆回線網開発のみに専念。太平洋への進出は2つの大戦を機に軍部によってなされた。 航空無線は陸海軍によって重視され、特に切断される可能性の高い海底ケーブルに変わる無線通信の開発に力がそそがれた。

このようにして、アーリングトン、サンディエゴ、真珠湾、グアム、フィリピンを結ぶ広範囲な無線網が大戦前にすでにアメリカ海軍によって建設されていたのである。 1957年、旧ソ連がスプートニク打ち上げに成功し、宇宙開発の先を超されたアメリカは、翌年1958年にはNASAを設立した。 その後ケネディ大統領のイニシャティブで世界情報通信網構築のためのINTELSAT (国際電気通信用衛星運営のための国際組織)を設立。1969年に国防総省は各地に分散されている軍事研究をコンピューターで結ぶARPANETを稼働した。世界秩序管理のための軍事利用を動機として大英帝国アメリカが世情報通信技術を開発してきたことは明らかである。 ナイ論文の「情報の傘」の構想は、100年以上前大英帝国が大規模な国家による海外侵出と電気通信の発展の歴史とともに、有効な戦略として認識されていたのである。 同論文でナイがこのことを強調したのは、1つにアメリカ国内に向けて情報技術開発の必要性を改めて説かなければならなかったこと、2つ目には世界規模の課題(経済、環境、民族問題等)が以前より複雑多岐に渡り、より強固な統治を必要とし、そこには当然アメリカのリーダーシップが発揮されなければならないことを再確認する必要があったのだと思われる。(注14)

米国の有力シンクタンク、ハーバード大学の科学・国際問題センター、ニクソン平 和・自由センター、ランド研究所、と共和党マイケン、民主党ナン上院議員らで構成する米国益委員会(Commission on America's National Interests)は1996年7月、 米国の国益に関する報告書を公表した。(注15)米国の国益に関する中心的問題を正確に提示し、それに対する最善の回答を示したものである。

その中で今後10年間の米国の国益への挑戦として11の項目が上がっている。その うちの一つが「サイバースペースと情報テクノロジー」である。同報告書では1991年の湾岸戦争を振り返り、「情報テクノロジー分野での支配ほど、米国の安全保障上の利益が当然視される分野はほかにない」としている。米国の国防省が開発の源流となったインターネットは、核兵器による攻撃またはテロ攻撃に耐えられるだけの十分強固な分散的な指令(Command)、管制(Control)、通信(Communications)、情報 (Intelligence) C3Iの能力を作りあげる手段として立案されたものである。さらに非軍事的理由として2つの米国の国益にとって極めて重要であるこが指摘されている。 第1に情報テクノロジーが今後数十年間の経済的繁栄の推進力になるということ。 第2に米国の情報テクノロジー支配は、広い意味では、米国自身を含む世界全体での文化的発展に、すなわち米国の価値観を世界に見せることによって、短期的な軍事上の利益ではなく、世界で唯一の超大国として米国が長期にわたって成功する重要な手 段である、と述べている。 他方、情報システムへの依存度を高めることは、結果的に脆弱性も伴う事実を指摘している。この点に関して、特にインターネットは米国政府が開発を手がけたとはいっても、世界規模で自己増殖をし続けた、管理体制なきネットワークとも言える。その技術的制度的脆弱性は国際社会が協力して取り組むべき共通の課題であり、「インターネット・ガバナンス」という言葉も生まれた。 他方、ゴア副大統領が提唱する「情報ハイウェイ構想」は何をめざしているのか。政府主導で策定された「情報ハイウェイ構想」は、米国の企業からの圧力を受け民間部門の投資を促進することを第一原則とした「全米情報インフラ(National Information Infrastructure, NII)」として1993年9月15日に発表された。(注16)

林、田川はこのNII構想の中で最も注目すべきは「ユニバーサル・サービス」を9つの目標の一つとして明確化したことである、と指摘する。そしてゴアの言葉を借りれば「ユニバーサル・サービス」とは情報化社会で「持てるものと、持たざるものを作らない」ということである。 米国のゴア副大統領が提唱する世界情報通信基盤構想は、情報通信インフラの開発とその市場の自由化が世界的に加速することで次世代の経済発展の重要な手段となることが強調されている。しかし市場の自由化と競争によって派生するであろう、より一層深刻な問題である情報格差の問題を解決する具体策が充分協議されていないのではないか。競争至上がもたらす弊害を、(注17)途上国や小国の立場から見直し、国際的なユニバーサル・サービスの実現に向けての国際協力の努力が必要になってくるで あろう。

ユニバーサル・サービスとは、一般にはどんな物理的環境にいようともあまねく平等に電気通信のサービスが受けられることであるが、 情報通信の自由競争はそれを可能にしない。今までは独占経営によって、山奥の一軒家でも人口の少ない離島へも、内部相互補助の仕組み、即ち東京-大阪間のような儲かっている回線の収益を儲からない東京-沖縄間の回線に補助するような仕組みが可能であったわけである。

自由化になればクリーム・スキミングと呼ばれる、儲かる地域での価格競争が始ま り、あまねく平等なサービスが不可能となるのである。このような弊害はすでに航空業の自由化で顕在化しているという。 林紘一郎、田川義博はその共著『ユニバーサルサービス-マルチメディア時代の「公正」の理念』の中でこの「ユニバーサル・サービス」の概念が21世紀に向けて情報化社会が形成されていく過程で、最も重要な基本理念となりつつある、と述べてい る。(注18)

また、これらはひとり電気通信事業のみならず、他の公益事業にも普遍的に適用される課題であることを指摘する。同書では「ユニバーサル・サービス」の語源を解明している。最初に「ユニバーサル・サービス」が使われたのは、アメリカで独占経営を行ってきた電話会社AT&Tの1900年初頭の経営戦略"One System, One Policy, Universal Service"であると述べる。即ち、独占体制によって初めて離島や社会的弱者である経済的・地理的にギャップを持つ人々に通信のアクセスが可能であるとした、「きわめて生臭い」イデオロギーであった、というのである。(注19)

他方、世界銀行の調査では途上国の情報通信市場が自由化することにより格段と情報の環境が改善された事実があげられ、情報通信分野の市場競争の有効性を説く。しかし、果たしてそうであろうか。規模の経済が成り立つ地域と、途上国の中でも太平洋島嶼国のような経済的合理性の低い地域にも市場競争原理は有効に働くのであろうか。ここで独占体制が通信の発展を妨げた、とする意見に対し、ユニバーサル・サー ビスの理念を持たない通信事業者のあり方に問題があるのではないか、ということを主張したい。林・田川は「グローバル化の波と共に、主権国家のボーダーが次第に低くなり、やがては意味を持たなくなれば、今度は世界規模で、かつてのアメリカが 「ユニバーサル・サービス」の達成のために直面した状況(中略)の問題に直面することになる。そのためには利益の高い区間から得た超過利潤を、利益が生じない区間 に割り振る仕組み、則ち内部相互補助の世界システムを工夫しなければならない。」 と述べる。(注20)

そして"One Policy One System, Universal Service"という独占体制を経営理念として上げたAT&Tの中興の祖セオドル・ヴェイルのような強力なリーダーを世界は必要 としていると述べる。

4.3 日本

太平洋島嶼国との関係

日本と太平洋島嶼国との関係は第一次世界大戦時より第二次世界大戦終了までのおよそ30年にわたるミクロネシア委任統治に始まる。戦後太平洋島嶼国が再び日本外交の視野に入って来るのは1970年代後期になってからである。1980年に発表された大平首相の政策研究グループが検討した「環太平洋協力構想」で太平洋島嶼国問題も取り上げている。(注21)

1987年には倉成外務大臣(当時)が大洋州を訪問し倉成五原則と呼ばれる援助施策を発表し(注22)翌年1988年には国内で初めての太平洋島嶼国に対する政策提言書 「太平洋島嶼国に対する日本の援助への提言」が社団法人研究情報基金の南太平洋委 員会(委員長渡辺昭夫)によってまとめられた。 続いて1991年JICAが「大洋州地域援助研究会」を設け報告書をまとめている。前者では主に日本の積極的役割と同時に域外も含めた国際的コミュニティのつながりを重視し、太平洋島嶼国の歴史・文化背景の尊重した土着的発展を重視することが上げられている。(注23) 後者は経済的自立、隔絶性の克服、保存型開発を強調している。(注24)

日本は、島嶼国の独立に伴い次々と外交関係を樹立し、現在はフィジー共和国、パプ アニューギニア、ミクロネシア連邦マーシャル諸島に大使館を開設、サモア、トンガ、フィジー、ミクロネシア連邦、パラオ共和国、マーシャル諸島にJICA事務所を開設している。これらの国への援助額はODA全体の2~3%だが、額にして200億円前後になる。これはこの地域の主要な援助国であるオーストラリア、ニュージーランドの援助総額が日本に比べ小さいので、両国の太平洋島嶼地域への比重は高いものの、日本が上位援助国の地位を占めている。(表3参照)

援助の特徴として広大な漁業水域を有し、日本の伝統的な漁場であることから水産業 の支援が多い。地域機関SPFのダイアローグパートナーとして89年より原則として外務政務次官が対話に出席している。また、SPFと日本政府の共同出資機関、太平洋諸島センターを1996年9月東京に開設し、同地域に対する経済投資の促進を進めている。また、毎年フォーラム議長国首相の招聘を行うと共に、97年10月には日本政府主催としては初めての太平洋島嶼国首脳会議を開催した。

太平洋島嶼国における情報通信研究と援助

日本国内でもUSPNetおよび太平洋島嶼国の通信ネットワークに関する技術的、社会 学的アプローチの研究が1970年代から進められてきている。

通信技術を中心とした研究は主に東北大学電気通信大学、郵政省通信総合研究所によって行われている。政策的側面 から郵政省、太平洋学会、放送教育開発センター等が研究報告書を策定している。(注25)

PECCやAPEC等の地域的枠組みにつながった「環太平洋協力」や「太平洋共同体」 構想は主に先進国とASEAN諸国の経済協力を重視したものであった。(注26)

他方情報通信分野では当初より熱心に太平洋島嶼地域へ目を向けている。これは日本が数百の有人離島を抱え、政府主導で通信インフラの整備を行ってきた国である、ということと無関係ではないように思える。しかし、これらの調査研究は実際の支援事業には結びつかない。筆者が観察する範囲では、研究成果が現地に公表されない、もしくは現地との接点がなかなかないのである。それだけ太平洋島嶼国は日本から遠い存在であることが要因のように思える。(注27)

国 名 91年 92年 93年 94年 95年

フランス 631.1(10.6) 91.9(12.7) 37.5(12.7) 80.7(11.8) 97.1(14.0)

豪 州 338.8(46.3) 29.9(47.2) 95.8(41.3) 22.6(39.3) 31.0(35.7)

米 国 39.0 (0.5) 23.0 (0.4) 181.0 (2.6) 337.0 (4.6) 221.0 (3.9)

日 本 110.5 (1.2) 165.6 (2.2) 138.5 (1.7) 127.7 (1.3) 159.9 (1.5)

ニュージーランド 43.0 (52.8) 49.1 (85.2) 53.0 (72.2) 55.8 (65.5) 70.0 (71.8)

英 国 26.3 (1.4) 25.7 (2.0) 18.4 (1.2) 19.5 (1.2) 12.5 (0.7)

DAC諸国計 1.212.9 (31.3) 15.1 (31.4) 44.6 (31.6) 66.0 (41.7) 10.8 (4.2)

表3 大洋州地域に対するDAC主要援助国の二国間ODAの推移

(支出純額、 単位:百万ドル)

その中で笹川平和財団内の特別基金である、笹川島嶼基金がUSPNetおよび太平洋島嶼国の通信ネットワークに関わってきた役割は現地のニーズと日本の関心を結び付けることにあった。事の発端は1989年フィジー共和国カミセセ・マラ首相(当時)が日本船舶振興会理事長笹川陽平氏にPEACESATに変わる衛星通信の支援を求めたことにある。その後、日本船舶振興会の関係団体で当該地域を担当する笹川島嶼基金が中心となってフィージビリティスタディ、関係機関との協議・調整を行い、ODA案件に結び付けることに成功させた。(注28)

USPNet支援の意義

1997年4月の橋本総理NZ訪問時、ボルジャー首相との会談の中で、日本とニュー ジーランドが行うアジア太平洋協力の協調案件としてUSPNetの再構築が日本側から提案され、話し合われた。(注29) その後、1997年10月に日本政府が開催した「南太平洋首脳会議」宣言文第9項(注30) でも、南太平洋地域の遠隔教育を関係国が支援することを歓迎する旨述べらている。その後、当初日本政府が同事業に共同参画を呼びかけていたが、その意思を示さなかったオーストラリア政府も態度を変え、これに加わることとなり (注31) 、太平洋島嶼国を巡って3国の協調案件として支援体制が組まれた。

太平洋島嶼国は冷戦終焉後の新たな世界秩序やアジア太平洋の枠組みの中で、特にソ連の脅威の後退とともに大国の関心が薄れてきている地域である。南太平洋大学 (USP)およびUSPNetはもともとオーストラリア、ニュージーランド政府が中心的役割を担って設立、構築してきた事業である。日本が行った今回の提案は両国の実績を評価しつつ、同地域で日本が新たなリーダーシップを積極的に表現したものとしてもっと評価されてもよいと考える。なぜなら、同案件が、現在活発に議論されているアジア太平洋情報通信基盤(APII)や世界情報通信基盤(GII)に対する以下の2点から重要な意味を持っていると考えるからである。

第一に、情報通信技術の開発に伴う、情報格差是正の側面。昨今、情報通信が軍事・ 経済の観点から語られる傾向が強いが、そもそもGIIが提唱された当初は、途上国支援を含む人類全体の福祉の向上という目的が強く出されていた。同案件はまさに途上国の教育改善を目指す情報通信開発でGII議論の見直しのきっかけを与えられるかもしれない。 第二にはUSPNetの政治的側面。国を超えた情報通信基盤構築の具体例はまだ他にない。少なくとも1960年代からUSPNet構築に向けられた努力は技術、教育ネットワーク構築以外に、各国の教育・郵政大臣から合意を得る作業や、国内・国際通信事業者との協議、さらに地域政府機関である南太平洋フォーラムなどとの協議・調整など政治的努力に向けられてきた。

注 釈

注1 中西輝政大英帝国衰亡史』7-8頁

注2 Cable & WirelessのWebから主に情報を収集した。 http://www.cwplc.com

注3 外務省『1997ODA白書』を参照

注4 中西輝政大英帝国衰亡史』7-8頁

注5 同前書305-327頁

注6 同前書321-322頁

注7 英連邦に関しては主に次のWebを参照。The Commonwealth http://www.thecommonwealth.org/

注8 COLの初代アジア太平洋ディレクター、Peter McMechan氏は以前USPで働き、初代のエクステンション所長を務めUSPNetの構築に貢献した人物である。

注10 マーシャル諸島は現在もクワジェリン環礁を米国の軍事利用のためにリースしている。米国から発射するミサイルの標的として、またスター・ウォーズの試験場としても使用されている。同国の閣僚の一人はクワジェリンがマーシャル諸島共和国と米国関係の基礎であると述べている。クワジェリンは、中央太平洋 に位 置し、ここには世界でも最も先進的技術を駆使したコンピュータ、ミサイル追跡機器、ミサイルの発射施設も置 かれている。 米国政府は、この基地に4 0億ドル以上を投資したと推定している。

注11 1998年11月クリントンはアジア諸国訪問の後にグアム寄った。米国大統領がグアムを訪れたのは、1986年のロナルド・レーガン大統領以来のことであった。 グアムに集まったパラオ、マーシャル諸島共和国ミクロネシア連邦、キリバス共和国、およびナウル共和国の各首脳を前に次の様なことをクリントンは述べている。「自由連合諸国の首相の皆様方が、今後も成長を促進させ、優れた統治を続けていかれることを希望しています」「米国 は今後も、これらの諸国の経済を増強させるためにパートナーとしての役割を果たしていきます」「我が国は長年にわたり、自由連合国との間に独自で、有益な関係を構築し、維持してきました」「自由連合協定(The Compact of Free Association )があるおかげで、私どもは、100万平方マイルを超える太平洋地域の平和を一致団結して維持するとともに、経済発展を促進させることができるのです。米国はこの関係を非常に重要なものと捉えています。」

注12 1998年9月PIDP訪問の際、ディレクターHalapua氏へのインタビューから。

注13 ハワイ大学のシステムを貫く共通価値観として次の項目が上げられている。 aloha; academic freedom and intellectual vigor; institutional integrity and service; quality and opportunity; diversity, fairness, and equity; collaboration and respect; and accountability and fiscal integrity.

注14 ナイ(ジョセフ)、オーエンズ(ウィリアム)「情報革命と新安全保障秩序」 『中央公論』を参照。

注15 米国益委員会「米国の国益に関する報告書」『世界週報』1996年10/11 月号。

注16 NII構想 民間投資を促進する。また、その促進策として競争の活発化と税制の活用を図 る。 「ユニバーサル・サービス」概念を拡張し、再定義する。 技術革新とアプリケーション開発を促進する。 シームレスで双方向かつユーザー主導のネットワーク運用を行う。情報のセキュリティとネットワークの信頼性を確保する。無線周波数の管理を改善する。知的所有権を保護する。国内的には 州政府等と規制政策等の整合性を図ると共に、国際的には電気通信関連の製 品・サービスおよびコンピューターに関する海外市場の開放を図る。政府情報を入手しやすくするとともに政府調達を改善する。

注17 寺島実郎は「グローバリズムの受容と超克」『中央公論』の中で「競争至上のもたらす弊害とその皮肉な帰結として「寡占」の招来である。「非効率」とされるすべてのものを否定していく社会観はあまりに偏狭であり、浅薄な商業主義を蔓 延させるだけで、人類史の文化的価値を否定するものである。」と述べている。 実際に世界の通信市場では大手企業の再編統合は目まぐるしく、世界的なメガ キャリアを誕生させている。

注18 林紘一郎、田川義博『ユニバーサル・サービス』中公新書、11-13頁参 照。

注19 同前書、59-77頁参照。

注20 20. 同前書、198頁参照。

注21 渡辺昭夫『アジア・太平洋の国際関係と日本』160-163頁、178-179頁参照。

注22 倉成五原則 1.島嶼国の独立や自治を尊重し、これに敬意を払い、2.地域協力を支援し、 3. 域内の政治的安定を確保し、 4. 経済協力を拡大し、 5. 人々の交流 を推進することである。なお、渡辺はこの政策が「グローバルな安全保障上の考慮」からこの地域の重要性を強調している、と指摘する。同前書163頁。

注23 「太平洋島嶼国に対する日本の援助への提言」(社団法人研究情報基金)を参照。

注24 「オセアニア地域援助研究会報告書」(国際協力事業団)を参照。

注25 以下の資料を参照。郵政省、郵政省通信政策局『太平洋島しょ国の衛星通信 ネットワーク構築へ向けて』1990年。太平洋島嶼国通信の現状とその改善策研究部会、太平洋学会『南太平洋大学とUSPNET』1987年。川嶋辰彦「南太平洋大学衛星通信網USPNETの本格的救済と整備拡充の方向-わが国の政府開発援助(ODA)政策に対する提案-」『学習院大学、経済論文集』第24巻、第4号、学習院大学経済学会1988年。田中正智「南太平洋地域開発への提案-底密度と多様性への挑戦-」(援助への「提案」入選論文集)『国際開発ジャーナル』4月号、1988年。

注26 渡辺昭夫『アジア・太平洋の国際関係と日本』178-179頁参照。Back

注27 筆者は南太平洋大学の遠隔教育関係者から「日本人はUSPNetの調査のためたくさん来る。その都度私達は時間を取られるが調査の大部分の結果は私達に知らされない。それに比べオーストラリアやニュージーランドの研究者は成果を共有するし援助に結び付ける。」というコメントを聞き大きなショックを受けた。 このことがUSPNet再構築支援を日本が実現させなければ、という筆者の強い動機となった。

注28 USPNetが日本政府のODA案件として支援されるようになった背景は、本論文には直接関係ないのだが、特にUSPNetがカバーしないミクロネシア地域の関係者からよく質問を受ける。筆者はそのことを知る数少ない当事者の一人としてここで述べておきたいと思う。

USPNet再構築を最初に非公式に申請したのは、カミセセ・マラ首相(当時) で、これを受けた日本船舶振興会笹川陽平理事長は同案件について調査するよう、振興会国際部に指示を出し、国際部から笹川島嶼基金に調査協力の依頼があった。筆者の前任者である当時の担当者は、国内専門家に情報収集すると共に在日フィジー大使やUSPの担当者と同件に関しコンタクトを取っていた。しかし、調査半ばで退職することになり、同案件は宙ぶらりんの状態になったのである。 1991年4月に笹川島嶼基金研究員として入社した筆者は、フィジー出張(同年6月)際に、面会予定のUSP副学長Geoffrey Caston博士が日本からの直行便の隣席になるという偶然に恵まれた。Caston博士は冷戦崩壊後のロシアが主催する会議に出席した帰り道であった。フィジーまでの約6時間、USPNetを中心にUSP及び太平洋島嶼国全般 に関し詳しい説明を博士から受けることができたのである。 さて、筆者はUSPにUSPNet再構築と申請の強い意志があることと、実際にニーズが現場にあり関係諸国もそのことを認識していることを確認し、申請書の提出をUSPに持ちかけた。なぜならばUSPNet再構築のオプションはいくらでもあり、どのような仕様にするか、USPの意向なしには検討できないと考えたからである。ここで若干複雑な話なのだが、USPNetはもともと衛星や地球局を新たに設置するというハード支援のため、島嶼基金のガイドライン範疇にはなく、ハード支援を可とする日本船舶振興会が申請を受ける団体となる。島嶼基金はあくまでもその仲介者として申請書の提出を促したのである。 USPNetの再構築計画を策定するということはUSPにとって一大事であったようだ。COLは1991年8月に出したUSPNetに関する評価報告書にUSPが援助国に頼ることなく自ら道を切り開かなければならない、と書いている。USPもその重 要性を認識していたようで最終的に提出された申請書にはそのフレーズが引用されている。 申請書は各国の通信事業者の事情、ニーズ、通信環境の詳細、そして理想的な衛星ネットワークの仕様が書かれ、1994年日本船舶振興会に提出された。 笹川島嶼基金はこのUSPNet再構築案件とは別に「太平洋島嶼地域の遠隔教育 調査研究」事業を1994/1995年に実施し、その中でUSPNetを巡る環境や関係者との意見交換も行い、さらに調査委員会委員長である電気通信大学小菅敏夫教授を中心に日本船舶振興会に対しUSPNet再構築案の説明を数回実施した。 しかし、振興会の担当者の異動もあり、同案件に対しあまり積極的な反応がな かったため、筆者は振興会の結論を待たずに1995年のフィジー出張の際、USP 副学長Esekia Solofa博士に日本のODA案件として提出することを提案した。2国間援助が基本の日本政府はUSPを支援対象としないため、同政府の公式な対話 パートナーである南太平洋フォーラム(SPF)から提出した方がよいであろうことを筆者はアドバイスした。 SPFはUSPを含む域内の地域機関の調整組織であるSPOCC(South Pacific Organizations Coordinating Committee)の議長を務めUSPの申し出を調整する役割がある。

筆者はここまでUSPNet再構築案をけしかけてきた責任と、USPの担当者が同案件に対し一番反対している各国の通信事業者との厳しい交渉をどれ程行ってきたかを知っていたため、余計なことと思いつつSolofa副学長に具申させていただいた。Solofa博士は同案件に関してSPFと協議を開始した。 ここでまた一つの偶然が重なる。日本政府は毎年、SPFの議長国首相の招聘を行っているが、1996年の議長はマーシャル諸島共和国大統領アマタ・カブア氏 (同年12月に死去)であり、カブア氏は当時USPの学長でもあったのである。 USPNet再構築申請書はカブア氏来日の際、SPF事務局長タバイ氏同席の下カブ ア氏から、外務省欧亜局局長に直接渡されたと聞く。しかし、本来ならばSPFは フィジーの日本大使館を通 すべきであったし、少なくとも大洋州課の事務方へ の根回し位 はしておくべきだったのである。 突然の申請は両者の面子を潰したこととなった。 その後、笹川島嶼基金が同案件に関わっていたことを知る大洋州課から非公式 なクレームがあったことは言うまでもない。しかし、今となって考えれば通常のルートを通していれば同案件が日の目を見ることがあったかどうか疑問である。その後、申請書を受領してしまった外務省は、USPNetに関して調査を始め、1997年4月、橋本首相のニュージーランド訪問時にアジア太平洋協力の一環として日・NZの協調案件としてUSPNet支援を取り上げた。この頃は同案件 がどこでどのように議論されていたか筆者は情報を持っていないが、この事実を知った時の喜びは何物にも変えられないもであった。また、結果としてだが、 日本船舶振興会がUSPNet再構築案を却下したことはよかったのである。 なぜなら振興会が12ヶ国の多様な利害関係者との調整や、NZ・豪との協調案件に持っていくことはほぼ不可能に近いからだ。

注29 平成9年4月30日外務省資料 日NZ共同記者会見記録 橋本総理のコメント:

(3) 今日午前、自分(総理)はボルジャー首相と率直な大きな2つのテーマに ついて意見交換を行った。第1は、二国間関係で、日本とNZは経済交流、人的交流などの面で非常に密接な協力関係にあり、この様な友好関係を一層発展させるよう努力することを確認した。(中略)

(4) 第2は、地域問題と国際問題で、両国はアジア太平洋地域のパートナーとして密接に協力しており、今後ともAPEC、ARF、WTO、太平洋島嶼国支援などで協力を深めたい。特に太平洋島嶼国支援に関しては、南太平洋大学の遠隔教育に使用されている施設(USPネット)の改善のための両国間の協力について話し合った。また、ASEMに関し、現況を説明するとともに特にNZがアジア側として参加できるよう改めてNZのASEM加盟の支持を表明し、そのためには協力を惜しまない旨伝えた。また、中国、朝鮮半島、南太平洋の情勢などについても 意見交換した。

注30 Joint Declaration on the Occasion of the Japan-South Pacific Forum Summit Meeting

Heads of States and Governments and representatives of Japan and South Pacific Forum members (Australia, the Cook Islands, Federated States of Micronesia, Fiji, Kiribati, Nauru, New Zealand, Niue, Palau, Papua New Guinea, Republic of the Marshall Islands, Samoa, Solomon Islands, Tonga, Tuvalu, and Vanuatu) , in recognition of the strong bonds of friendship and shared interest between Japan and the Pacific region, met in Tokyo on 13 October 1997 to participate in the Japan-South Pacific Forum Summit Meeting (the Summit).

The Leaders renewed their commitment to work in partnership towards the sustainable development and economic and social well-being of Forum Island Countries (FICs), and unanimously declared as follows:

The Summit acknowledged the important role played by regional organisations in the Pacific, in particular, members of the South Pacific Organisations Coordinating Committee(SPOCC), in assisting FIC's efforts towards achieving broad based economic reforms and sustainable development and the need for appropriate support for these organisations. The Summit warmly welcomed and called on the continuing support of development partners to regional organisations in the region and highly appreciated the continued commitment by Australia, Japan and New Zealand in this respect, in particular, their commitment to the improvement of distance education facilities in the Pacific region, and their willingness to provide resources to this end. The South Sea Digest No.16 vol. 17 Oct.24 1997