やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

1989.1.10 カミセセ・マラ閣下と日本政府ODA案件USPNet

          南太平洋大学内で建てられたJapan-Pacific ICTセンター

1989年、フィジーの国父カミセセ・マラ閣下が衛星を失った無料の衛星通信PEACESATに変わる衛星を太平洋島嶼国のために打ち上げて欲しい、という要望を持たれた。これに応えたのが私である。笹川陽平は何も知らないし、何もしていない。

結果的に8年後1997年4月の橋本ボルジャー共同記者会見で日本NZ協調ODA案件となる事が発表。後日、日本の支援に反発していた豪州もこれに加わり、3カ国による支援案件となった。

今でこそICTと開発は花盛りだが、当時のICTは独占状態で、品質も限られ、金額も高く、とても広大な太平洋に散らばる小さな島々に、福祉教育目的のICT支援は可能性としては考えられなかった。 最終的にODAすべく当方が画策する事となった。

ICT音痴の外務省がこのマルチ案件且つICT案件を突然取り上げた背景にはPIF(当時はSPF)からの要請があったためだ。PIFこそ日本政府が主催する島サミットの相手であった。

その後、USPNetのODA案件をきっかけにさらなる22億円のODAでJapan-Pacific ICTセンターを南太平洋大学内に設置。現在は世銀、ITU, ADB等々の南太平洋大学を中心にICT支援が拡大、継続している。