やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

パラオと三塚議員と私の買物症候群

自分のワードローブに、サイズの小さくなったスーツが5、6着、ドレスが5、6着ある。

これが捨てられない。合計するとゼロが6個位の代物だ。

あの頃より、1、2サイズ増えたきり元に戻らない。(´_`。)

なぜ私のワードローブから三塚議員の話に飛ぶのか。

今回どうでもいい話です。

日本パラオ友好議員連盟会長の三塚博議員をパラオに連れ出したのが初代笹川平和財団田淵節也会長である。1999年10月の事である。

この三塚、田淵ミクロネシアミッション(サイパン、グアムも訪問した)をアレンジしたのが当方なのである。

今考えてもよくやった、というかどうやったんだろう?と不思議だ。

調整のための三塚議員事務所通いが始まった。

遅刻はできない、といつもかなり早く到着。

時間つぶしで麹町をフラフラしていた時、黒いスーツがバーゲンで店頭に。

ペリリュー島の慰霊に着ていく黒のスーツが必要だよな、と思っていたところだった。

会社帰りに早速同店を訪ねると、バーゲンのスーツはイタリア製でゼロが5つもある。

普段はゼロが2つ、3つ。時々気張って4つ程度の洋服しか買ったことはない。

諦めようとしたところ、ローンを提案された。月々のお支払いは5千円、とかそんな感じ。

で、買ってしまった。

それがきっかけで買物症候群、だと思うが、ゼロ5つのスーツやドレスを買い込む事となった。

大物2人の海外出張の調整なんて、やっぱり相当なストレスだったに違いないと思う。

後で聞いた話だが、その頃中華系マレーシア人から暴力を受けたばかりの当方を心配した回りが止めるのを無視し、田淵会長の独断で出張のアレンジを「早川にやらせてみろ。」と言われたのでそうである。この田淵会長の独断で私は精神的かなり救われた。もしかしたら、今生きていなかったかもしれない。

三塚・田淵ミクロネシアミッションはかなり成功し、今のミクロネシア海上保安事業の伏線になった。