やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

『南太平洋における 土地・観光・文化』白川千尋著

フィールドワークを予定しているバヌアツの、同国政府からの許可がやっと取れ、今度は自分の大学の倫理委員会の審査に臨む事となった。ヤレヤレ。長い道のりだ。

それで思い出したのがずっと以前に購入した『南太平洋における 土地・観光・文化』

著者白川氏が過去協力隊で入っていたバヌアツの村に、再度伝統医療の研究で入ろうとした際、拒絶されたという経験を元に文化とは誰のものか、ということを議論した本。

笹川太平洋島嶼基金は長年バヌアツの遺跡保護管理事業を支援してきたので、この本を購入した記憶がある。同事業の事が少し触れられている。

ほんの数行。その事業を実施したバヌアツ文化センターの動きは国に影響を与えていない、と記述してある。いったい何を根拠に、どのように影響を与えていなのか書いていないので、無責任な記述のようにも思える。

この本は日本語だが、英語で書かれていればバヌアツを知る学者に読まれ、某かの批判を得る事であろう。

バヌアツに限らず、太平洋島嶼国、アジア諸国でも調査に入る前にその国の政府、もしくはそれに準ずる機関(例えば博物館とか研究所)の許可を必要とする。

現地調査の倫理規定が厳しくなったのは、主に医学調査で血液やDNAを採取し、時に現地の人に被害を与えたり、採取したデータで新薬を開発し大きな利益につなげたり、と言った事が問題として取り上げた事がきっかけだったと思うが定かではない。

文化人類学は、そもそも西洋の植民地支配の延長線にあったという歴史を背負っている。

学問が発達し、「未開の野蛮人」は一方的な視点でしかく、相対的な視点が養われても、そこには某かのバイアスがかかってしまうだろうし、多くの伝統文化が違ったコンテクストで語られる事の危険は避けられない。

それを避けるには日本語だけではなく、広く読んでもらえる記述で、多くの批判を受けられるようにするしかないような気がしている。

特に小さな島国では、人類学者の記述が村や国に大きな影響を与えてしまう事もある。