昔、心理学者の友人に薦められて買ったエーリッヒ・フロム著『愛するということ』。
一度読んで、あまり印象に残らず本棚にあった。
フロムは『自由からの逃走』の方が印象に残っていつも自由について考える時に思いめぐらした。
アドラー心理学の本を探していたら本棚にあった『愛するということ』を見つけ、思わず週末の友にピックアプ。
今回は読み出したら止まらなかった。
読了後、友人数人に読め読め、と薦めている。
老荘思想が出てくるのだ。荘子と老子がアリストテレスと対極ある論理として引用されている。
フロムは鈴木大拙を招いてワークショップも行っている。
アリストテレス以来、西洋世界はアリストテレス哲学の論理に従ってきた。
例として、以前このブログでも取り上げた「郡盲象を撫でる」が出て来る。
「正しい思考が究極の真理ではなく、したがって救いの道でもないとしたら、自分とは違う原理に到達したほかの人々と争う理由はない。」
西洋が宗教戦争で容赦なく殺し合いをしてきた歴史がなんとなく説明できるような気がしてきた。日本が、真言宗、天台宗、浄土宗と別れても殺し合いをするまでの教義の不寛容さはない。
そこには老荘思想がある、と知れば納得できるような気がする。
”何も知らない者は何も愛せない。”
愛とは知る事。= Philosophy