今日は朝から娘のバイオリンの試験。
バイオリンを始めて4、5年になる。先生から試験を提案され、初めて受ける事となった。
試験は、3つの楽曲を暗譜で。
それからC、F major scale & arpeggio.
E、 D harmonic minor scale & Arpeggio.
この数週間、親子喧嘩の日々が続いた。
「なんで間違えるのよ!」
「これでいいの!」
「音が下がってるの!!ここはシャープでしょ!」
ふと自分の子供の頃のことを思い出す。
親に練習しろ、と言われた事はないが、なぜ毎日練習したのであろうか?
自由教育信仰者としては、強制したくない。といいつつ「継続は力なり」を伝授したい気持ちもある。ここは孟子の母のように機織りの糸を切って、継続とは何か諭すべきか、とも悩んではいる。
自分は学校の勉強が嫌いで、音楽学校に進んだので、別に音楽家になろうとか思った事はなかった。
そんな様子を心配した母親の友人がわざわざ音大を目指す若者を批判した書物を送ってよこした事を思い出した。
音大を出て、音楽で食っていけるのはホンのわずか。なにを大金かけて音大に行かせるのか、といった内容だったと記憶している。
音大を出て、全く違う仕事をしていると「まあ、もったいない。なぜ音楽家にならなかったの?」
とアホな事をいう人に何人も遭遇する。こういう人はソロスも仰け反る市場原理主義者である。(注)
そういえば自分の音大の卒論のテーマはポピュラー音楽と市場経済だった。
音楽とは何かを考える時、思い出すピアニストがいる。Alice Herz-Sommer。ホロコーストからの生存者で1903年生まれ。まだご健在のようだ。
注 "market fundamentalism" の概念は昔からあったが、この言葉を有名にしたのはソロスの『グローバル資本主義の危機』(1998) のようです。wiki情報。