やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

安倍首相の太平洋訪問に向けて(1)

年明け、羽生会長から「笹川会長に会ってこい」と言われたのはやはり年末の産経で報道された安倍首相の太平洋島嶼訪問の件であった。

詳細は書けない。が、笹川会長から「23年よく続けてくれた。」と言われて単純に喜んでイイ気になっていたのだが、”そういう事ではない”、と昨晩気づいた。

 

どういう事か?

自分の23年は笹川太平洋島嶼国基金の25年、そして中曽根首相の太平洋訪問からの29年へとつながる。

 

1985年の中曽根首相島嶼国訪問からここまで引っ張って来たのが1989年に設立された笹川太平洋島嶼国基金である。

(初代運営委員長が笹川陽平会長、二代目が樋口レポートを書かれた渡辺昭夫教授、現在は海洋政策財団の寺島紘士常務)

 

中曽根首相の島嶼国訪問を受けて発表されたのが通称「倉成ドクトリン」。戦後始めての日本の対太平洋島嶼政策。で、このドクトリンを受けて1988年太平洋島嶼国の首脳を日本に招聘し、倉成議長による太平洋島嶼国会議を主催したのが笹川平和財団。(日本政府主催の島サミットは10年後の1997年から。)

その成果として笹川太平洋島嶼国基金が1989年設置されたのである。私はキックオフに失敗した基金を1991年から一人で再興させるというチャレンジングな機会を得た。

 

安倍首相が訪問を検討されているらしいパラオとの関係を強化してきたのは私である。

 

1999年、笹川平和財団の故田淵節也前会長が故三塚博議員(日パ友好議連会長当時)を誘ってパラオを訪問。ナカムラ大統領(当時)は偶々開催されていたPIF総会議長で余裕はなかったハズであるが、今思うと格別の対応をいただいた。この後、基金はナカムラ大統領、レメンゲサウ大統領との関係を強化してきた。具体的にはミクロネシア地域協力の枠組み作りを支援してきた。これが現在進行中のミクロネシア海上保安事業につながる。

 

ところで、笹川陽平氏に質問しようと思って忘れた件がある。

1988年笹川平和財団は、日本に招聘した太平洋島嶼国の首脳を北京まで連れていったのだ。

太平洋島嶼国と、今何かと話題の中国とのきっかけを作ったのはもしかして笹川平和財団ではないでしょうか?

 

 

1985年 中曽根首相太平洋公式訪問(安倍外務大臣、安倍晋三現首相同行)

1986年5月 ホーク豪首相が来日

1987年1月 倉成外務大臣が豪州,NZ, フィジー,ヴァヌアツ,パプア・ニューギニア訪問.

      フィジーで「太平洋未来社会を目指して」(通称倉成ドクトリン)を発表。

1988年8月 笹川平和財団主催「太平洋島嶼国会議」が倉成元外相を議長に迎え開催された。

1989年 笹川太平洋島嶼国基金設立

1991年 私が財団に入る(これはどうでもいい話ですが。)

1999年 笹川平和財団田淵節也前会長、三塚博議員パラオ訪問

2008年 ミクロネシア海上保安事業開始

2013年 安倍首相、太平洋島嶼国訪問の新聞報道